七月四日(水)丁酉(舊五月廿一日) 晴、風

 

『源氏物語』〈帚木〉の卷を讀み進みました。〈雨夜の品定め〉の締めくくりを、左馬頭がこれまた偉さうに語つてゐますが、これは、才女紫式部のこころの内を左馬頭の口を借りて語つてゐるやうに見受けられました。まあ、自戒と明を潜ませてはゐるのでせう。

「こんなことがまた左馬頭によつて云はれてゐる間にも、源氏は心の中でただ一人の戀しい方のことを思ひ續けてゐた。藤壺の宮は足りない點もなく、才氣の見え過ぎる方でもない立派な貴女であると頷きながらも、その人を思ふと例の通りに胸が苦しみで一杯になつた」 (與謝野晶子譯)

要するに、友人たちが熱心に語つてゐるあひだも、源氏の心は藤壺の面影で滿ち溢れんばかりであつて、やはり、馬鹿馬鹿しくて聞いてはゐられないかつたのでありませう。よくある話ではありますけれど。 

 

今日の 『ぢざうわさん』 第五回目。まづは、昨日の寫眞の翻刻です。 

 

〇しやばにてじひのみやうがうを (娑婆にて慈悲の名號を) 

ひとたびとなふるくりきにて (一度唱ふる功力にて) 

ごうにひかるるこんはくを (業にひかるる魂魄を) 

みちびきたまへぢざうそん (導びきたまへ地藏尊) 

 

〇しるのみならずかのそんの (知のみならず彼尊の) 

三じゆのかじのしんごんは (三種の賀字の眞言は) 

十あくごうのゐんゑんを (十惡業の因縁を) 

ふしやうなりとぞしめしける (不生なりとぞ示ける) 

 

〇ゐんごうすでにむなしくハ (因業已にむなしくは) 

くはういづくにありぬべき (苦報何處に有ぬべき) 

いんがとともにふしやうなる (因果と共に不生なる) 

あじくうでんのほとけなり (阿字宮殿の佛なり) 

 

〇なんはう大じぢざうそん (南方大士地藏尊) 

ほうしやうによらいどうぼさつ (寶生如來幢菩薩) 

じやうぼだいしんによゐほうじゆ (淨菩提心如意寶珠) 

ひだりのミてのほうじゆにハ (左の御手の寶珠にハ) 

 

今日の寫眞・・ 『ぢざうわさん』 五、六丁にわたる頁。