七月十二日(木)乙巳(舊五月廿九日) 曇りのち晴

 

『源氏物語』〈帚木〉の卷、一氣に讀み進みました。源氏が、方違へ場所の紀伊守の屋敷で、空蝉の寢所に忍び込むあたりから讀みはじめ、どこで「實事」があつたのかたいへん複雑な文章を解讀。參考書によつて、「『まことに・・・』の文との間に、女と契りをかわしたことが省かれている」との指摘があり、さらに、『増註湖月抄』 で、「みざらましかばくちをしからまし」の頭注に、『玉の小櫛』 の註として、「既に實事有りしうへ也」 とありましたので確認いたすことができました。まことに複雑怪奇といつたところで、前技の語りにつづいて後技の語りが延々とつづいて、はたしてどうなつてゐるのと言ひたところで 「空蝉との一夜」 が明けてしまひます。 

たうとう屋敷をあとにし、源氏としては後ろ髪を引くやうな氣持ちであつたのでせう。歸宅後、あらためて紀伊守を呼び寄せて探りを入れ、空蝉が紀伊守の父・伊予介の後妻(紀伊守にとつては継母)であることを確認し、空蝉の弟の子君(こぎみ)を 「童殿上」 させてもいいとか言つて、手元に召す、といふところまでどうにか讀みました。

 

物語は一氣に讀むに如くはありませんが、讀めない言ひわけでもありますが、登場人物の心の奥まで微に入り細にわたつて讀んでいくのも、きらいぢやあありません。それでこそ見えてくるものがあるからです。 

で、とにかく、つい先ほどまで藤壺のことで胸がいつぱいの源氏のこころは、どうしてかうも簡に目の前の女性にかたむいてしまふのでせうか。これは、ご皇室の血を引く者のご公務である「繁殖」の域を越えた、もう趣味といふか樂しみといふか、彼らの存在證明そのものなんでせうね。 

 

それと、『源氏』 に並行して、口直しに、また柴田錬三郎を讀みはじめました。 

 

たうとう淸水のお母さんの葬儀には出られませんでした。妻だけが日歸りで行つてきてくれました。よくなつたら、お父さんと山に行つて焚火をしたい。小屋を借りてもいいし、テント暮らしをしてもいいな。 

 

今日の寫眞・・梅ケ島にて