七月廿日(金)癸丑(舊六月八日・上弦) 晴、猛暑

 

『源氏物語』 〈三・空蝉〉の卷を讀み終りました。つづいて空蝉が登場するのは、〈一六・關屋〉ですが、それは、〈一五・蓬生〉につづいて讀んでも支障なささうですので、玉蔓系のもう一つの短編物語である、〈四・夕顔〉を讀んでしまふことにしました。 

ちなみに、《源氏物語をよむ》 の講義でいただいた資料によれば、《玉蔓系後記説》でいふ、「玉蔓系」(十六帖)は、四つの短編物語から構成されてゐます。「空蝉物語」(帚木・空蝉・関屋)と「夕顔物語」(夕顔)と「末摘花物語」(末摘花・蓬生)と「玉蔓物語」(玉蔓~真木柱)です。これらは、「光源氏の中の品の姫君との恋物語」とも、「光源氏の失敗談」ともいはれる物語群ですが、問題は、讀む順番です。

 

ぼくは、「玉蔓系」は、「紫上系」(十七帖)のひとまとまりの物語に挿入された味付け役として讀んでいけばいいと思つてゐます。すでに、「紫上系」の〈一〇・賢木〉まで讀んでゐるので、〈三・空蝉〉のあとに、〈四・夕顔〉、〈六・末摘花〉と讀み、そこでまた「紫上系」に返へりまして、〈一一・花散里〉~〈一四・澪標〉のあとで、〈一五・蓬生〉と〈一六・關屋〉とを讀み、また「紫上系」にもどつて、〈一七・絵合〉から〈二一・少女〉、さらに「玉蔓系」の〈二二・玉蔓〉から〈三一・真木柱〉。締めくくりが、「紫上系」の〈三二・梅枝〉〈三三・藤裏葉〉。以上、なんとかの胸算用ですけれども、讀んでいきたいと思つてゐるのであります。 

 

ところで、先日は、物語を樂しく讀むためのお約束事を逸脱するやうな言ひ方をしてしまひましたが、〈空蝉〉の卷もそれなりに面白かつたことを記しておきたいと思ひます。 

そもそも、物語は面白く讀めればそれでいいわけで、面白く讀むための工夫こそ必要な努力でありませう。へたに價値觀をおしつけても何も得るものはございません。 

小説であれば、自分ができないことをやつてのける登場人物の活躍に一喜一憂してこその讀書でありますし、そこから生きる喜怒哀樂を味はふことができます。 

ただ、『源氏物語』 のむずかしさは、起承轉結(序破急)にともなふカタルシスが感じられにくいといふことです。「解決」がつかないといふか、いつになつたら一息つけるのだらうといつた、もどかしさ、不燃焼感がいつもつきまとふことです。 

さて、どうしたら面白く讀めるのか、『源氏物語』 に関していへば、大野先生と丸谷さんの對談、『光る源氏の物語』 なんか、とてもいい道案内だと思ひます。 

〈帚木〉の卷のむすびにかうあります。「拒まれるなんて不慣れな」源氏は、空蝉に逃げられた空しさ悔しさを、メッセンジャーに仕立てた空蝉の弟の小君に向けます。 

 

「『ぢやあもういい。お前だけでも私を愛してくれ』 と云つて、源氏は小君を傍に寢させた。この少年の方が無情な戀人(空蝉)よりも可愛いと源氏は思つた。」(與謝野晶子譯) 

 

ここをとらえて、丸谷さんは、「この晩、小君とは實事があるんですか」なんてことを言ひだしておりまして、「〈帚木〉と〈空蝉〉は続けていいところでしょう。それをわざわざ巻を変えてある。ここは何か空白にしたかった」。さう、この「空白部のところで実事ありだと思うんですね。」と、丸谷さんが言へば、「なるほど」と大野先生がお應へしてをられます。明らかに男色關係があつたと斷定できるでありませう。 

ですから、〈帚木〉と〈空蝉〉にかけては、源氏は人妻の空蝉との實事、その義理の娘にあたる軒端の荻との實事、そして、小君との男色の實事ありと、まあ忙しいわけであります。でも、目の前の色香に溺れてばかりゐていいのでありませうか。ねえ、光君?