七月(文月)一日(日)甲午(舊五月十八日) 晴、暑い

 

今日は暑くてなにも手につきませんでした。しかし、讀書はぼくの存在證明ですから、寢轉がつてでも本を手放せません。それで、『源氏物語』、〈帚木〉の卷の 「左馬頭の体験談─指喰いの女」の話のはじめから、中斷したところを越えて、「指喰いの女」の話が一段落するところまでを、復習とウオーミングアップのために讀んでみました。

 

ところが、あらためてくづし字の難しさに驚きました。この五か月、いろいろな時代のくづし字を讀んできましたが、これは難解の部類に入るでせう。もちろん慣れてしまへばいいのですが、たしかに中斷するまでは讀めてゐたわけで、ちよつと油斷をするとこのやうなことになることを敎へられました。 

それにしても、一文字なのか二文字なのか、入り組んだ文字には閉口しました。字もかすれてゐるところがしばしばで、「假名變體表」でたしかめたり。でも、文字としては、『竹齋』 の下手なのにくらべれば斷然お上手、品がありますです。はい。 

 

今日の寫眞・・昨日求めた、『歌に執する人びと』 と、『松本健一講演集 維れ新たなり』。 

吉崎敬子著 『歌に執する人びと』 は、たまたま目についた本ですが、「『宇治拾遺物語』と『俊賴髓惱』の和歌説話」といふ副題がついてゐるやうに、ぼく好みの内容のやうです。このやうな出會ひがあるから古本漁りはやめられません! 

 

『ぢざうわさん』 でくづし字のお勉強、第二回。昨日は一、二丁にわたる頁の寫眞でしたが、今日は、二、三丁にわたる頁です。 

まづ、昨日の一、二丁の讀みを書いておきます。今日の寫眞の頁は明日書きます。 

 

きめうちやうらいぢざうそん (歸命頂禮地藏尊) 

しやかのふぞくをおくねんじ (釋迦の付属を憶念じ) 

あくしゆにしゆつげんしたまひて (惡趣に出現し給ひて) 

しゆじやうのくげんをみちびけり (衆生の苦患を導びけり 

 

とうがくむくのだいしたち (等覺無垢の大士たち) 

そのかずあまたましませど (其數あまた在しませど) 

だいじだいひのふかきこと (大慈大悲の深きこと) 

ぢざうぼさつにしくはなし (地藏菩薩に如くはなし) 

 

〇むしよりわれらるてんして (無始より我等流轉して) 

いつかしやうじをはなるべき (いつか生死を離るべき) 

ろくしゆりんねのありさまは (六趣輪廻のあり様は) 

くるまのめぐるがごとくなり (車の廻るが如くなり) 

 

〇一ねんまよひしはじめより (一念まよひし始めより) 

むみやうのくらきやみにいり (無明の暗き闇にいり) 

ぢやうやのねふりふかければ (長夜・常夜の眠り深ければ) 

ゆめにおどろくこともなし (夢に驚くこともなし)