2024年3月(彌生)1日(金) 晴のち曇り
散歩と稱して神保町へ。まづ御茶ノ水驛前の“誠鮨”でランチのちらし鮨をいただき、坂をくだつて古書會館で開催の愛書会の古本市を訪ねた。今回は内容がゆたかで何册か文庫本が目をひいた。
調子がいまいちだつたので神保町交差點まで歩いて歸つてきた。
リチャード・スターク 『悪党パーカー/襲撃』(ハヤカワ・ミステリ文庫) 讀了。どんでん返しが面白かつた。
今日の収穫・・『原典で楽しむ江戸の世界』 以下文庫 『冥途・旅順入城式』 『小説マルコ・ポーロ』 『文士の友情』 『人間・吉行淳之介』 『花のさかりは地下道で』 『深夜の読書』 『人の砂漠』 『シベリア鉄道9400キロ』
今日の外出・・4120歩
昨夜の夕食につづいて今晩の食事もあぶらつこかつたためかおなかが痛くてつらかつた。
3月2日(土) 曇天
おなかの具合ひがわるく終日藥と水分以外とらずうつらうつら寢床ですごす。
3月3(日) 晴
終日調子わるく、午後には純子さんに來ていただいて施術していただき、夕方には慈惠大靑戸病院に行きていねいに診てもらひ、だいぶ回復してきた。
朝食・・おかゆ
3月4日(月) 晴
今日も終日調子わるい。午前中南郷整形外科に行つて注射。
調べたら、ぼくの症状はどうも「逆流性食道炎」らしい! 胃酸と胆汁が逆流して上がってくるのだ。それが指壓棒でつぼを押したらだいぶ具合ひがよくなつた。讀書は進まず。
3月5日(火) 曇りのち雨
慈恵大青戸病院の消化器内科に通院し、あらためて診ていただいた。點滴注射をしてもらつた。胸の苦しさについては明日の新橋慈恵大でうつたへることにした。
吉行淳之介 『不作法対談』(角川文庫) やつと讀了。ワイダンの連續でつかれた。
まともに食事しなかつたが少しずつ食べるようにした。
3月6日(水) 雨後曇り
今日はペースメーカ外來で新橋の慈惠大病院に通院したが、現在の緒症状をうつたへたら、緒檢査の結果入院することになつてしまつた。しかも集中治療室(CCU)にて腕や首筋に點滴注射されながら、睡眠藥をもらつて寝た。
松本さんにメールして9日の約束をキャンセルした。
3月7日(木)
CCUにて。六日ぶりに食べた食事が美味しかつた。晝食も夕食も半分以上食べられていい調子。
朝食後CCUの別の部屋に移つたころ美知子が來てくれ、さらに午後には別のトイレつきの廣い小部屋に移された。テレビも見ることができた。
ところが夕食時に舌を噛み、血がとまらなくて不安になつた。
嵐山光三郎 『年をとったら驚いた!』(ちくま文庫) 讀了。
3月8日(金)
昨夜噛んだ舌の血がとまらなくて一晩中寢られなかつた。さらに左手首の動脈血が内出血をおこし紫色に腫れ上がつてしまつた。朝いちで耳鼻咽喉科につれていかれ、縫ひ合はせることができないので強引なともおもはれる治療をほどこしてくださり、やうやうく出血がとまつた。しかし二日間はおしやべりすることも食べることも禁じられた。
またもやCCUのナースステーションの前の部屋に移された。そこに美知子が面會に來てくれた。
夜、テレビでアカデミー賞作品 『グリーン・ブック』 をみることができた。すごくよかつた。本は讀めず。
3月9日(土)
CCUにて回復をまつ。今回の病名は「脱水による低拍出症候群」といふのださうだ。舌を噛んだのはハプニングだつたが入院中でよかつた。ただ舌を動かさないために飲み食ひ禁止。點滴注射をしてゐるけれどそれでものどがかわく、サイダーやコーラをぐびぐび飲みたい。
午後、美知子が面會に來て電池や目藥をとどけてくれた。
終日うつらうつらして讀書すすまず。
3月10日(日)
CCUにて絶體安靜。昨日とかはらず飲食禁止。點滴注射で榮養分と水分は與へられてゐるとはいへ口とのどがかわいてならない。舌の傷も左腕の内出血も少しづつよくなつてきてゐるやうだ。
美知子に黒川博行 『悪逆』(朝日新聞出版) を圖書館から借りてきてもらはうとしたところ60番目だといふので新本を買つてきてもらつた。
3月11日(月)
CCU(集中治療室)から同7階の一般病室に移る。依賴したところ、齒科へまはしてくれて、痛む部分を治療していただき、移つてから耳鼻咽喉科からきた醫師に飲み食ひを解除された。ところが、まる四日食べなかつたため腹に殘つたさいごの便が石のやうに固くて出ない。男性看護師の助けを得て出ときには感謝しかなかつた。
ただ、水は飲めたが食事は明日からだといふ。
3月12日(火)
711病室にて。今朝から食事がはじまつた。食欲があるといふわけではなかつたが、朝のパン、晝の肉、夕食の鯖の塩燒き、少々殘しながらもどうにか食べられた。そのため首筋から榮養分と水分を攝取するための點滴注射針が取り去られて自由になつた。かつて知つた病棟なのでトイレも使ひはうだい。
川野さんに近況をお傳へする。
『悪逆』 やつと讀み進める。
3月13日(水)
711病室にて。食事がはじまつて便も出た。醫師に願つてポカリスエットが飲めるやうになつた。甘くて冷えてゐるのでおいしい。
3月14日(木)
711病室にて。食事がけつこううまい。
擔當醫に少しづつ運動するように言はれる。それだけよくなつてきたのだらうが、動いたあとは息が苦しい。
晝すぎ美知子來たり、齒ブラシやコンクールをとどけてくれた。そのあとシャワーを浴びてレンタルパジャマを着がへた。
吉行淳之介 『着流し対談』(角川文庫) やつと讀みおはる。
3月15日(金)
入院十日目、食事がおいしいのがありがたい。
晝すぎ美知子來たり、スプーンと文庫本をとどけてくれる。
黒川博行 『悪逆』(朝日新聞出版) 讀了。重かつたが讀みごたへもあつた。
夜中デジタルウォークマンには助かつてゐる。ジャズやクラシック、SLに落語まで聴ける!
3月16日(土)
今日もほぼ完食。食事がおいしいのがありがたい。朝食は待ち遠しいほどだ。排尿排便良好。横になつてゐるのはもとより苦にならない。特別の治療はなかつたが、 ワーファリンや水分の調節で、もう少しかかるやうだ。
3月17日(日)
晝食はなんと餃子とマーボー豆腐だつた。ぼくの慈惠人生初、入院が怖くなくなつた氣がする。
午後シャワー。
美知子に和本の 『方丈記』 と本居宣長の 『菅笠日記』 を待つてきてもらつた。筒井康隆 『家族八景』(新潮文庫) 讀了、といつても再讀。
マキさんが亡くなつた。夕方奥さんから電話があつた。マキさんの葬儀をまかされてゐたぼくとしては、ただ、ぼく自身の現状を傳へ、徳田さんか服部さんに連絡してくださるよう話すしかなかつた。結果、山梨のトクさんが葬儀をしてくれることになり、大安心。
3月18日(月)
左腕がしびれてゐたので整形外科の外來に行つて診ていただいたら、首を強くうつむいたために神經にさわつたからだといふ。たしかに猫たちと過ごすとき、座椅子に深く座つて首を極端にまげてゐたわけだつた。今後氣をつけたい。
和本の 『方丈記』 讀了。つづいて本居宣長の 『菅笠日記』 を讀んでいきたい。『笹塚日記-うたた寝篇』 も平行して讀んでゐる。
3月19日(火)
朝食のパンとジャム、ソテーがうまい。晝のあんかけやきそばは先日の餃子とならんで慈惠で初もの。ところが夕食は鯖の塩燒き、最惡で箸もつけなかつた。
山梨のトクさんに電話をしたら、東京にゐる土橋君がマキさんの葬儀をしてくれることになつたといふ。つづいて土橋君とマキさんの奥さんに電話してあいさつをした。
午後美知子がきて、たのんだ「仮名変体表」をとどけてくれた。家のはうはかはりないといふ。感謝。
本居宣長の 『菅笠日記』 を讀みすすむ。
3月20日(水)
今日は休日のやうで醫師も看護婦さんも少なく、8階のコンビニに行つてオロナミンCを飲み、ポカリスエットも買ひもとめた。
午後またシャワーを浴び、頭も洗うことができた。
朝晝は完食だつたが、夕食も金目鯛の煮付けだつたので食べられた。
本居宣長の 『菅笠日記』 を讀みすすむ。
3月21日(木) 晴
點滴針がすべてはずされて自由になつた。主治醫はもう少し樣子を見て、來週の月曜に退院といふことにしようと言つてくれた。
美知子とは8階のコンビニ前で待ちあはせ、たのんだ奈良県の地圖と黒砂糖をうけとり、オロナミンCを飲み、ポカリスエットと麦茶を買ひもとめた。
本居宣長の 『菅笠日記』、奈良県の地圖がきたので宣長が歩いた地名を確認することができた。
藤巻さんの葬儀に参列してまいりました。友人として節子さんと私、司式は土橋牧師、明学時代の仲間で巻さんを送ることがとできました。土橋牧師の話しも 心のこもったよい話しでした。貴殿が居ないことは寂しいことでした。取り急ぎ報告まで。
今日のメール・・・服部さんへ
それはよかつた。マキさんと奥さんにはまことに申し譯なかつたと思つてゐます。ありがたうございました。ひげ淳
3月22日(金)
退院が月曜と決まり、午後主治醫の宇野先生より美知子をまじへて治療の報告と退院後の注意を受ける。
8階のコンビニで、オロナミンCを飲み、おもひきつてサイダーをを買ひもとめた。
飲んだ水分と排尿量の記録はまだつづく。
本居宣長の 『菅笠日記』 繼讀。
3月23日(土)
朝、採血とレントゲン撮影があつただけで靜かな一日。許しを得たのでコンビニでサイダーをを買ひもとめた。午後シャワー、レンタルパジャマをかへたが、これで終はり。
3月24日(日)
明日退院となつた今日の食事、朝食のパン以外は晝も夕食も食べられなかつた。鯖の塩燒きと卯の花なんて箸もつけられなかつた。
美知子からメールがあつて、母がケガをして出血し病院を何ヵ所も探してやつと龜有病院で傷を縫ってもらつたといふ。どうしたものか、早く歸りたい。
3月25日(月)
退院の朝、體重は53キロ、これを維持しなくてはならない。約二十日の入院生活のあひだ若い看護婦さんたちの獻身的な介護には感謝のしょうがない。ありがたくまた癒された。入院中讀書はすすまなかつたが、本居宣長 『菅笠日記』 は櫻が散つてしまつたあとの吉野散策までを讀むことができた。
美知子が迎へに來てくれて歸宅。大門驛から青砥驛下車、“手打ち蕎麦かとう”で鴨南蛮を食べたが、夢にみたやうな味はいでうまくてうまくて、ごちそうさま。
歸宅後はすぐ猫たちの部屋に入り、夕方までゆつくり愛撫してあげた。
夕食は注文だうり、酢だこに長いもの千六本、それにすき燒きで腹いつぱいになり、風呂はやめてはやめにベッドに入つた。
母のケガは縫つたとはいへひどい傷ではなかつたやうで安心した。
3月26日(火) 雨
今日から新しい生活をはじめた。朝7時半起床、あたたかい朝食。晝はかるく。そしていつも通りの夕食。早起きのために消燈は9時を原則。もうこれだけでからだがととのふ。
晝食前、入院前に行く豫定だつた床屋に行き、さらにみじかく髪を刈つていただく。
今日は終日猫たちと過ごす。グレーがふところの中でぐつすり寢込んだ姿が可愛ゆくていとほしい。
日本橋の齒科に電話してクリーニングの豫約をした。またマキさんの奥さんに電話して、退院したことを報告し、マキさんの寫眞がたくさんあるのでパソコンのある息子さんに送ることができることをお傳へした。
バルトの 『キリスト教倫理Ⅰ』(新教新書) を手に取つたらぐつと引き込まれたので讀みはじめてみた。
3月27日(水) 晴
すでに目は覺めてゐたけれど7時半起床。洗面後猫たちにご飯をあげてから朝食。昨夜の豚シャブの汁で雑炊。
晝はまたパンにコロッケ、サラダにコーヒーと牛乳をおいしくいただく。が、これではふとると思ひ、午後散歩に出た。ラムとよく歩いた路地を思ひだし思ひだしして歩いてみたら2350歩。九品寺で休み、コンビニでアイスクリームを買食ひ。
夕食は夕食で、枝豆、ナムル、シラスだいこん、かつをの刺身、厚揚げ、ナスの煮びたし、みな酒のさかなと言つてよく、オールフリーがおいしく飲めた。ご飯は少し、それにしてもよく食つた。
日中は猫たちと過ごしたが、腰を痛めないやうに座椅子に座つてゐるのに工夫がゐる。
3月28日(木) 曇りのち雨
7時半起床。朝食はコロッケパンとサラダ、コーヒー、牛乳、たつぷり食べた。
晝は散歩をかねて驛前の“たかの”でタンメンと餃子、タンメンは麺半だけれどほぼ完食、うまかつた。食後、驛前通りを舊堀切橋まで歩いたが、昔の面影は皆無。菖蒲園方面を網の目状に曲がりくねつた路地をつたひながら歸路についたら雨が降りはじめ、美知子に車で迎へにきてもらつた。それでも歩數は3340歩。
夕食はまた酒のさかなと言つてよい長いも千六本、わさび漬け、味つけ昆布、ミルガイの刺身、ナスのつけ物。ご飯は少しだが、今日もよく食つた。
夕方、風呂に入つた。およそ一月ぶりで氣持ちよかつたが、からだのあちこちが内出血だらけなのには驚いた。
日中は猫たちと過ごし、ベッドには入らないやうにしたので、そのせいか消灯9時には寢られるやうになつた。
3月29日(金) 雨のち晴
7時半起床。朝食も晝食も夕食もおいしく食べられて、それだけでもありがたかつた。
今日も日中は猫たちと過ごし、ベッドには入らず。ただテレビをだらだらみてしまふ。西部劇は面白かつたが、その他はどうでもいい番組ばつか! 讀書ははかどらず。
服部さんと土橋君と秀子さんに退院したことをショートメールで報告した。
9時には消燈。
3月30日(土) 晴
7時半起床。朝食後、退院後初の古本市めぐり。高円寺だけですますつもりが面白くなく、東西線九段下驛下車、歩いて成光さんを訪ねてラーメンをいただき、さらに神田古書會館をおとずれたがここも不作で探偵小説の文庫本を數册求めたのみ。
歸宅後、ベッドに入らず夕方まで猫たちと過ごした。
9時には消燈。よく寢られるのが不思議だ。病院生活の延長のやうである。
今日の収穫・・・『掬水譚-法然上人別伝』 『帰郷』 『危険な森』
今日の外出・・・5230歩数
3月31日(日) 晴暑い
8時起床。終日在宅。食事は三食すべておいしい。特に夕食のつまみを食べながらのオールフリーがおいしい。ただ藥のために排尿の回數と量が多く、喉がかわいてならなかつた。
日中、猫部屋ですごし、暑くなつたため猫たちのためのあんかをかたづけた。
『帰郷』 讀みすすむ。