七月廿五日(水)戊午(舊六月十三日) 晴、暑さにぶる

 

暑さが多少にぶつて、過ごしやすいとまでは言はなくても、どうにかへたばらずにすみました。だからといつて讀書が進んだわけではありませんが、〈夕顔〉の卷を數頁讀みすすみました。そして、そこに、また大野晋先生と丸谷才一さんが指摘する、「色ごとにかけてはすごい」光源氏のエピソードを發見しましたので、ご披露いたします。 

光源氏が、六條御息所と一夜を過ごして、まだ明けないうちに歸らなければならないといふ場面です。 

 

大野 「霧のいと深き朝、いたくそそのかされ給ひて、ねぶたげなるけしきに、うち嘆きつつ出で給ふ」。つまり光源氏は眠たそうな顔で六條御息所のところから帰ろうとしました。この先のところ、「中将のおもと、御格子一間上げて、『見たてまつり送り給へ』、とおぼしく、御几帳ひきやりたれば」。そこ、どうですか。 

丸谷 どうですかって・・・・・。 

大野 中将の御許は、六條御息所に向って御格子一間上げて。 

丸谷 見送りなさいと言って、几帳を横にずらしたんでしょう? 

大野 なのに? 

丸谷 「御髪(みぐし)もたげて見出だし給へり」 というのは、起き上がっただけだと。 

大野 そう。まだ、寝ているんですよ。これ、どういう意味ですか。 

丸谷 ・・・・・。 

大野 つまり、六條御息所の愛執が深いというのはこういうことでしょう。朝、起きられないんですよ。 

丸谷 あ、そうか、ぐったりしていた。う~む。 

大野 起きられないから、彼女は頭を上げるだけで源氏を見送ったというんです。それほどであったのに、源氏はまた中将にちゃんとこれだけ働きかけるバイタリティーを有するということが皮肉のように書いてある。 

丸谷 おっしゃるとおりです。 

大野 「御髪もたげて見出だし給へり」、これだけで作者はその一晩を全部表現した。

 

とまあ、このやうなお二人のやりとりから、源氏を讀むコツを敎へられますね。 

 

それと、『眠狂四郎孤剣五十三次』 は、「赤坂暮色」まで讀み進ました。讀みやすいのでついつい引き込まれてしまひます。 

赤坂宿と言へば、中仙道にも同名の赤坂宿がありました。中仙道の赤坂宿は、西國三十三ヵ所巡りの締めの札所、谷汲山華嚴寺への巡禮客で賑はつた宿場で、たしかに、「左たにぐみ道」と大きな字で刻まれた道標を確認した覺えがあります。