七月十四日(土)丁未(舊六月二日) 晴、猛暑

 

昨日讀みはじめた 『一休禅師御一代記』、くづし字がとてもわかりやすく、内容も讀めばそのまま理解できるので、今日はその第一段八丁(十六頁ですが、半分は挿繪です)を讀み通しました。一休さんの出生にまつはる出來事についてでした。

 

その一休さんの出生について、參考書(今日の寫眞)をあれこれ參考にしながら、その眞を調べてゐたら、ちよいとつまづいてしまひました。それは、『一休ばなし とんち小僧の来歴』 といふ本なんですが、その中の 〈明治初期の出版傾向〉の項で、明治期の一休關係のものは、『一休諸國物語圖繪』(昨日の寫眞の一番左) をもとにして、「原文とは少し表現を変え、ときには新たに禅話を加えるなどして、一見して依拠したネタ本がわからないようにしているのですが、内容的には、新味はありません」、と述べてゐるのです。

 

『一休禅師御一代記』 もさうであるとは書いてゐませんが、『一休諸國物語圖繪』 と内容的には同じもののやうです。當然、讀むならば 『一休諸國物語圖繪』 でせう、と言ひたいところです。しかも初版は天保七年(一八三六年)ですから、明治十九年(一八八六年)刊行の 『一休禅師御一代記』 より半世紀もさかのぼります。 

でも、くらべてみたのですが、だいぶ内容が違つてゐるやうなんです。まづ、一休さんの出生については、『一休諸國物語圖繪』 では取り上げてゐません。はじめから「一休ばなし」に入つてしまつてゐるのです。であるならば、あへて大册に挑むこともなく、一休さんの傳記として書かれた 『一休禅師御一代記』 をつづけて讀んでいこうと思ひました。

 

さういへば、最後の頁をくくつたら、そこに、「一休師假字行實了」とありました。もとは漢文ででもあつたのか、わざわざ假名文字で書いた「行實」(行状實記)ですよと言つてゐるところなんか氣に入りました。

 

ちなみに、〈第一段 禅師未生より十餘歳にいたる〉 の冒頭には、 

「佛(ほとけ)にして仏にならず、佛にならずして仏たるは誰ぞ、紫野の一休禅師なり。密に其出生(なりいづる)ところを尋れバ、人間の種(たね)ならず」 

と、まあはじめから神格化されたやうな誕生の仕方ですが、ここで目くじらを立ててとどまつてしまふわけにはいきません。偉人の傳記の冒頭にかかげる常套句と思つておきませう。と言つたつて、「人間の種ならず」とは、天皇の子であるといふだけのことです。 

問題は、その誕生にいたる経緯ですね。ぼくもはじめて知つたことばかりでとても興味深かつたです。 

 

今日の寫眞・・一休さんの參考書と、 『一休禅師御一代記』 の一休さんの誕生場面。