七月五日(木)戊戌(舊五月廿二日) 曇天、ところどころで小雨

 

今日は通院日。御成門の慈惠大學病院に行つてまゐりました。あまり調子がよくないのは仕方ないとして、それで、考へてゐたやうに、新しい主治醫に靑戸病院(慈惠醫大葛飾醫療センター)のことを話してみました。具合がわるくなつたときにはすぐに、車で一〇分ほどで通院できる靑戸病院へ轉院できないかとの希望を傳へたのです。 

ところが、我が意に反して、無理ですといふ返事なのであります。當然次の言葉を待ちましたら、ぼくが装着したペースメーカーは特殊な機械で、まだ靑戸病院ではそれに對應できてゐないのだといふのです。 

でも、靑戸病院とは頻繁に連絡しあつてゐるから、急を要する場合には靑戸に通院することはできますよ、といふので一應安心はしました。それで、通院がたいへんならば通院を三か月に一度くらいに變へませうかと言ひますから、いや反對に、すぐけつけられるやうに、それで距離的に近い靑戸病院を望んだのであつて、だめならむしろ頻繁に通院したいくらいなのだと訴へましたけれども、結局次回は一か月半後といふことになつてしまひました。 

おまけに、保險證を忘れたことに氣づき、妻に届けてもらふ始末。でも、晝食を病院のそば屋で一緒にいただくことができました。

 

千代田線で歸る妻とは地下鐵大手町驛で別れ、ぼくは巣鴨驛經由で池袋へ。昨日からはじまつてゐる 《三省堂書店池袋本店 古本まつり》 を訪ねました。いつもの特設會場で、二十四店舗の參加です。たしかに盛大でしたが、今回はなんだかすかすかな感じで、面白味がありません。それでも、出入り口を入つたところのポラン書房で、「和讃」に關する本を二册見つけることができました(今日の寫眞參照)。 

さういへば、最近どこの古書市でも同樣なんですが、明治時代の教科書を多く見かけます(今日の寫眞參照)。明治三十三年以前のものは、れつきとしたくづし字本ですから、くづし字の勉強には最適です。内容も、修身、作法、國語、地誌、算術等樣々で、教育勅語は見當たりませんが、修身などはその一環なんでせうか。といふより、ぼくは、江戸時代からつづく修養書(實語敎、童子敎などの手習所教科書)の流れだと思ひたいですが、甘いでせうか?

 

《古本まつり》をあとにして、明治通りを越えたところにあるコメダ珈琲店に入り、一時間ほど休憩。若者が占めてゐましたが、わりと靜かで明るく、讀書にはいい雰圍氣でした。それから、また數軒先のすし屋に入り、少しつまんで腹拵へ。中トロとみる貝、馬刺しに赤貝にミンクくぢら。ちよいと下手物つぽいですが、美味いのです。いままでに四、五回ほど立ち寄つたお店ですが、美味さは變はつてはをりませんでした。 

今日は、それほど歩きませんでしたが、六〇六〇歩でした。 

 

今日の 『ぢざうわさん(地藏和讃)』 最終回。昨日の寫眞の翻刻です。どうです、少しは勉強になつたでせうか。和讃についてでも、くづし字についてでも。 

 

ちざいこうどううしゆじゆほう (置在高幢雨種々寶

せしゆつせけんのぐわんをみつ (世出世間の願をみつ) 

われらひんりにさまよひて (我等貧里に呻吟ひて) 

ねがはざるこそかなしけれ (願はざるこそ悲けれ)

 

〇さてまた三ぶのまんだにハ (偖又三部の曼陀には) 

くわんおんぢほうこんがうと (觀音持寶金剛幢) 

一たいだいひのもんにいで (一體大非の門にいで) 

しゆじやうをせつけしたまへり (衆生を攝化し給へり)

 

〇りんゑんくそくほつしやうたう (輪圓具足の法性塔

六だいむげのしやくぢやうを (六大無碍の錫杖を

しうぢのみてにうちふりて (執持の御手に打振りて) 

ふかきねむりをおどろかす (深き眠をおどろかす)

 

〇一もんすなはちふもんにて (一門則はち普門にて) 

ぢざうすなハちへんぜうそん (地藏すなはち遍照尊

ゐんぐわ一によのほうもんハ (因果一如の法門は) 

ふにまかゑんのほとけなり (不二摩訶衍の佛なり)  以上 

 

今日の寫眞・・「和讃」に關する本二册。和讃と言へば親鸞のやうで、法蔵館から出てゐる 『和讃の研究』 にも、「ぢざうわさん」のぢの字も記されてをりません。だいぶがつかり! 

『修身小學』 は、明治十七年七月、「野州宇都宮大工町 集英堂支店」の出版です。その他は本文參照。