四月廿七日(水)己卯(舊三月廿一日 曇天

 

「『かな書道』無料講習会」に參加してまゐりました。會場は市川市文化會館。京成電車で中川と江戸川を越えて千葉方面、乘り換へなしで行けました。 

京成八幡驛からは、南に總武線の八幡驛を越えてさらに歩いて行かなければなりませんでしたが、わかりやすいところにありました。「市展」といふ赤い幟がはためいてゐました。 

講習は午後一時からといふことでしたので、八幡驛近くでラーメンを食べ、會場に着いたときは一二時四〇分でしたが、指定された會議室はまだ鍵がかかつてゐました。 

しばらく待つてやつとぞろぞろと數人の高齢者男女がまゐりましたので、ついていくと、女性二人はアシスタント、講師の大貫水声先生は、な、なんと男性の、しかもだいぶおぢいさんでした。太りじしで、はたと澁澤敬三さんを思ひ浮かべてしまひました。 

それよりも、昨晩、やはり書道をしてをられる川野さんに、女性の講師で樂しみですとかなんとか申してしまつたものですから、なんとも殘念といふか、どう言ひ譯しようかと、まあ、ちよつとですが困つてしまひました。 

それと、たしか、定員は三十名で、それで、漏れはしないかと心配してゐたんですが、參加してびつくり、ぼくのほかに男女一人づつのたつた三名だけだつたのであります。これでは先生、やりにくいだらうなと氣をつかつてしまひましたが、慣れてをられるのでせう、お敎へくださつたことは適切で、とても勉強になりました。

 

まづ、筆のこととそのおろし方。漢字の場合は一字書くのに何度か墨を補ひますが、かなは一度に何文字も書くことができること。これはあとで『百人一首』の歌を書いたときに痛感いたしました。また、墨付けは、筆先の三分の一のところまでださうです。 

さらに、墨の種類と擦り方。墨には「油墨」と「松墨」があり、その「油墨」を使用するとのことです。擦り方は、病み上がりの女性が擦るやうな按排ですよ、とこれはかつて書道具屋さんで聞いたことでした。それと、書く場合には擦りたてを使ふようにするのださうです。 

硯は、小さめを用意するやうにといふことでしたので、ぼくは昨年妻と一緒に書道具屋に行つて求めた、土佐清水市産の「中村硯」の小さいはうを持つてきました。が、それでも十分な大きさでした。 

そして最後は、用紙ですが、ぼくは漢字用とかな用とは用紙が違ふことをはじめて知りました。漢字用は染みていい用紙(和紙)で、かな用は染みてはいけないロール紙(洋紙)を使ふのださうです。それに色がついたものを「料紙」と呼ぶさうです。さうですね、たしかに、傳貫之の高野切と呼ばれる古典かなの名品などは、いい色合ひの料紙に書かれてあります。といふことは、日本にも、かつては洋紙のやうに染みない紙があつたといふことなんでせうね。

 

さて、講習の實際は、墨を擦るところからはじまり、そのときの水の量、墨のつけ方にも注意を受けました。 

文字は「いろは」。お手本を下に敷いて寫し書き。文字による筆の入り方を敎へていただきました。そのあとで、こんどは手本を脇において見て書くのですが、緊張しました。 

ところが、お手本の『百人一首』の持統天皇の歌、「はるすきて なつきにけらし しろたへのころもほすてふ あまのかくやま」を書かせられたときは、さらに緊張して、なかなかはじめの一筆をおくことができませんでした。 

そしてその時に注意を受けて知つたことは、行がかはつても、墨の補充は、五七五七七の各句切れ(區切れ)までしてはならないといふことでした。だから「かすれ」といふ獨特の味はひがでるのですね。これはとても大切なことだと思ひました。

 

そしてお片づけ、筆が吸つた墨の處理を敎へていただいてお開きとなりました。 

以上、ぼくにとつてはたいへんよい勉強になり、これで、しばらくは一人で練習ができると思ひました。ただ、先生の聲が小さいので、よく聞き取れなかつたのが殘念でした。 

 

今日のピクニック・・夕食後、買ひものに行くといふ妻について、堀切菖蒲園驛前の赤札堂に行きました。今にも空から雨粒が降つてきさうな天氣でしたが、好きなお菓子を買つてもらひ、それと、驛前でノラネコを集めて世話をしてゐるといふお方の家まで連れていかれ、まあ、我が家のノラたちのための見學でしたが、幽閉中の寅のことや、妻がご執心の華(はな)ちやんのことなど、あれこれ話しながら歸つてきました。 

 

今日の寫眞・・「『かな書道』無料講習会」の案内。市川市文化會館。そして、今日のぼくのかな書道初作品。

 



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