四月十四日(木)丙寅(舊三月八日 曇天

 

昨夜、妻が寄つてきて、ねえ、と言つて、ねだるので何かと思つたら、圖書館で借りてきた天野正子著『〈老いがい〉の時代―日本映画に読む』(岩波新書)を、ネットで注文してほしいといふのであります。ただし安かつたらだといふので調べたら、一圓でした。それに送料がかかるだけです。むろん注文しました。 

老人の「生きがい」だから、「老いがい」と著者は言ひ、さまざまな映画を俎にのせて論じてゐるんですけれど、それが、ほとんど知らないし、見たこともない映画ばかりなんです。でも、妻に言はせると、見てみたいと思はせる何かがあるやうです。 

「ここでは、劇映画、ドキュメンタリー、社会派、芸術派、娯楽派などジャンルを問わず、まず老いや介護に関わるその時代の刻印を強く刻んだ作品かどうか、次いで老いをめぐる多様な視点や関係の広がりを見せてくれる作品かどうか、を基準に」選んだ作品ばかりなのであります。

 

もちろんすべてが日本映画なんですが、その〈まえがき〉に出てくる、『先祖になる』(二〇一三年)が氣になり、思ひ切つてユーチューブで検索し、予告編を見ることにしました。すると、なんと突然木の伐採の光景が現れたのです。 

陸前高田市在住の佐藤直志さん、七十七歳。大津波で壊れた家を建て直し、ここで「先祖になる」と斷言して、そのための材料である木の伐採なのでありました。 

思はず、背筋がゾクゾクとしました。チェーンソーのエンジンの音と響きが、ぼくの心に潛んでゐた山暮らしの生活を呼び起こしたのです。 

すると、チェーンソーによる木を伐る映像がたくさんあることもわかり、あれこれ選り取り見取りで見つづけてしまひました。見るだけでも緊張の連續でした。久しぶりです。それで疲れたのでせうか、今日は一日寢て過ごしてしまひました。 

まあ、「東日本大震災の津波被害」からの復興映畫ではあつたんでせうが、ぼくは、もともと樵(きこり)であつた佐藤直志さんの木を伐る姿に見とれてしまひました。

 

また今日も、妻が、圖書館から借りてきた「明日の友」がいい、いい、と言つてまとはりつくので聞いてあげました。老人雑誌だと思つてバカにしてゐたけれど、自分が老人になつたからか、いや、内容が素晴らしいのよと言つて、バックナンバーをたくさん借りてきてむさぼり讀んでをりました。 

かうして、木曜日で弓道場へ行く日でしたけれど、「有所勞不參入」の忠平さんではないですが、「有所勞不稽古」と自分を納得させて、讀書にはげみました。 

 

今日の讀書・・『貞信公記』を讀みつづけるとともに、風間真知雄著『耳袋秘帖 赤鬼奉行根岸肥前』(だいわ文庫)を讀了。 

 

今日の寫眞・・天野正子著『〈老いがい〉の時代―日本映画に読む』(岩波新書)を含む、妻がぼくに薦める本。「明日の友」(二一七號)と、妻がぼくにも讀めとさしだした頁。それと、ぼくが樵だつた頃。

 



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