四月十三日(水)乙丑(舊三月七日 雨降つたりやんだり

 

今日もまた、『貞信公記』 を讀みつづけましたが、昨日書き切れなかつたので、補足します。つまり、忠平はじめ、當時の權力者たちが賴りにしたといふか、大いに利用した佛敎についてです。佛敎といつても、敎義や制度的なものではなく、あくまで實務的なことですが、當時は、南都北嶺といつて、奈良と京都、すなはち、東大寺・興福寺等と比叡山の二大勢力がありまして、忠平さんなんかも、うまく使ひ分けてをられるのであります。 

特に奈良の興福寺は藤原氏の氏寺です。藤原鎌足や、不比等によつて創建維持されてきたお寺ですから、いくら平安京に住まひ。比叡山が近いからといつても南都を無視はできません(『歴史紀行一 飛鳥・藤原京編』參照)。 

それでも、それぞれの最高責任者を任命するのは朝廷の權限でしたから、『貞信公記』 にも、例へば、「(延長二年)二月卅日、以權律師延爲東大寺別當」とあるやうに、(えんしん?)を東大寺の別當(事務統轄僧官)に任命したことが記録されてをります。また「阿闍梨」は、東大寺からと、比叡山からバランスよく選んで任命してゐたと思はれます。 

そこで役立つのが、『東大寺別當次第』と『天台座主記』です。ぼくは、これらを、『群書類從』をコピーしてそれぞれ册子にして用ゐてゐますが大變便利です。『東大寺別當次第』は、第一代の良弁(天平勝寶四年・七五二年、大佛開眼供養の年)から、第百四十三代隆實(文安四年・一四四七年)までの別當となつた歴代の僧の經歴が記録されてゐます。また『天台座主記』は、第一代義眞(弘仁十三年・八二二年、最澄没年)から第百六十七代二品親王尊朝(靑蓮院)まで記されてゐます(ただし現在、第二五三代まで増補)。 

 

ちなみに、第三代圓仁(七九四―八六四)については、次のやうに記されてをります。 

「第三圓仁和尚。謚號慈覺大師。治山十年。下野國都賀郡人。壬生氏。師主傳敎大師」。ここまでで、圓仁さんは、慈覺大師と呼ばれ、十年間座主を勤め、壬生氏に屬する下野出身の人であり、最澄さんの弟子であつたことがわかります。そしてさらに、「御唐入承和五年六月。御歳四十五。同十四年御歸朝也」とあつて、四十五歳の時に大陸へ渡つて九年に渡つての求法の旅、それが、『入唐求法巡禮行記』 として殘されてゐます。平凡社の東洋文庫と中公文庫で讀むことができますが、ぼくは、ちやうど歴史の勉強をはじめたころで、氣力もあつたので、『群書類從』をコピーして、漢文で讀みました。二〇一一年六月六日からはじめて、讀み終はつたのが八月廿六日、二ヶ月半もかかつてしまひましたが、實に自信がつきました。なにせ、内容は一種の冒險小説のやうでしたからね。それもよかつたのかも知れません。 

 

近頃は、《散歩をすれば歴史に出會ふ》なんてことを言つてお騒がせしてゐますが、このやうな讀書は、それこそ歴史との出會ひそのものです。もう、わくわくしてしまひます。 

さうであるならば、こんど、下野の圓仁さんの誕生の地を訪ねるのもいいかなと思つて調べてみました。先日訪ねた「室の八嶋」の近くです。すると、「慈覚大師円仁誕生の地と伝えられるのは現在二ヶ所有ります。下都賀郡壬生町の壬生寺と、栃木市岩舟町下津原です」とあつたのです。 

壬生説のはうが有名らしいのですが、それが、「十七世紀後半、日光輪王寺門跡天真法親王が日光に赴く途中、壬生を通ったおり『慈覚大師円仁の姓は壬生だがこの壬生の生れか?』 と聞いたのに対し、付き人が『はい』と答えたため」といふのを知つて、ぼくは、岩舟説のはうに軍配をあげたく思ひました。何故なら、『円仁 唐代中国への旅』(講談社學術文庫)を書いたライシャワー博士(元駐日大使)が訪ねた地でもあつたからです。 

 

いや、横道にそれてしまひましたが、もう一册、便利な、『僧綱補任 僧歴綜覽(推古卅二年ー元暦二年)』(笠間書院)を紹介します。これは、「律令制下で僧尼の教導、京や地方の官寺の管理などを職務とした僧官」、つまり、公務員として朝廷に仕へたの僧侶の「履歴一覽」なのであります。ですから、私度僧は載つてをりませんが、歴史書や公の記録を讀むときには大變役に立ちます。 

 

今日の讀書・・昨夜、藤岡忠美著『紀貫之』(講談社学術文庫)讀了。『古今和歌集』成立の背景と、貫之の人脈といふか、當時の宮廷の状況がよく描かれてをりました。また、今讀んでゐる、『貞信公記』 の著者、藤原忠平とその兄の時平との關はりが、ぼくは菅原道眞さんを死に追ひやつた時平が好きになれませんが(『歴史紀行十二 菅原道眞紀行』參照)、その時平が、『古今和歌集』成立を支へたといふこともわかりました。時の權力者、醍醐天皇や藤原氏一族、それをとりまく宮廷の貴族や歌人たちの協力なくしては、『古今和歌集』はあり得なかつたことがわかつてきて、ちよつと複雑な気持ちです。 

また、「江戸期の奇談集『耳袋』の著者としても知られる南町奉行・根岸肥前守を主人公にした連作集」、といふので求めておいた、風間真知雄著『耳袋秘帖 赤鬼奉行根岸肥前』(だいわ文庫)を手にとつたところ、面白さうなので、ついつい讀み進み、夜更かししてしまひました。それで、シリーズ二册め以下は圖書館で借りることにしました。 

 

今日の寫眞・・今日の關連本

 



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