四月八日(金)庚申(舊三月二日 曇天

 

今日はまた、神保町へ行つて勉強してまゐりました。古書會館は、いつものやうに熱氣がこもつてゐて、のんびりとながめながら歩くといふわけにはいきません。かき分けかき分けしながらでないと、竝んだ本の前に出られないくらゐなのであります。 

それに、最近目立つのが、スマホとでも言ふんでせうか、それを片手に何やらチェックしたり、バーコードの部分をなぞつたり、欲しい本を探すといふより、轉賣目的で來てゐると思はれる方、しかも女性が何人も目立つのであります。 

まあ、ほとんどの方が、純粋に自分の目を信じて、欲しい本を探し回つてゐるわけですが、かういふ商賣人のやうな、醒めたといふか、場違ひな人たちを見かけると、ぼくは氣になつてしかたありません。變でせうか?

 

ところで、古本市は改めて申すまでもなく寶の山なのであります。永井荷風も言つてゐるやうに、新本屋や「圖書館へ行けば讀めるといふ種類のものぢやありません」ので、それだけ貴重といふか、ながめて心にとどめておくだけでも大事な仕事なのであります。 

だから、何が何でも買ひ込む必要はないのでありまして、今日などは、和本を數册、それもよれよれな廉價本を求めてきました。 

一册は、『拾遺專念往生傳卷之一』、あとの二册は、『鎌倉武鑑』の端本であります。 

「往生傳」で入手しやすいのは、岩波書店刊「日本思想体系7」の『往生傳・法華驗記』でせう。もちろん、「群書類從」にも網羅されてをります。以下、ネットで調べたことをまとめてみます。

 

おうじょうでん【往生伝】 極楽浄土への往生を願ひ、浄土に往生した人びとの略伝・行業と臨終時の奇瑞(きずい)を簡略に記した伝記集。中国唐代初期に弘法寺迦才の《浄土論》巻下に二十人の往生者を収めたのが最初で、往生伝として独立したのは中唐の文・少康による《往生西方浄土瑞応伝》からであり、宋代以降多量に撰述された。日本では慶滋保胤(よししげのやすたね)が源信に深く共感して寛和年間(九八五―九八七)に《日本往生極楽記》を撰した。続いて平安時代末期までに大江匡房(まさふさ)《続本朝往生伝》、三善為康《拾遺往生伝》《後拾遺往生伝》、蓮禅《三外(さんげ)往生記》、藤原宗友《本朝新修往生伝》、如寂《高野山往生伝》が撰述され、浄土願生者のテキストとして受容された。

 

ところが、今日求めた『拾遺專念往生傳』は、以前讀んだ『往生傳・法華驗記』と『往生伝の研究』(新読書社)にも、また、笠原一男著『近世往生伝の世界』(敎育社歴史新書)にも、寺林峻著『往生の書 來世に魅せられた人たち』(NHKブックス)にも見られなかつたので、どういふ種類の「往生伝」であるのか分かりません。ちよつと殘念ですが。 

お晝は、はじめてのそば屋さんを發見したので、美味しいかつ丼を食べてきました。これは餘禄の樂しみであります。

 

今日の寫眞・・新發見のそば屋〈静邨〉とかつ丼。今日求めた和本。それに、我が家に戻つてきた寅。家に入つたので泊めてやりたいのだが、どうなるでせう?

 



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