二〇一六年四月(卯月)廿一日(木)癸酉(舊三月十五日 曇りのち雨

 

今日は出かけず、くづし字のお勉強に勵みました。 

まづ、寝ながら讀めるやうに工夫してゐる、『大和物語』 を繼讀。これは蒲團に入つて寢つくまでと、目覺めて起きるまでの貴重な時間をあててゐます。藤原忠平さんの子どもたちやその周邊の人々が登場したりして、『貞信公記』 の參考にもなります。 

ついで、和本の 『人倫訓蒙圖彙』 全七册のうち入手した三卷と七卷のうち、卷三を讀みました。各三百圓。最近、東洋文庫に翻刻されてゐるのがわかり、難解漢字のところはちらちら參照しながら、これはお樂しみかつ勉強になる教科書風の和本です。卷三は、作業部で、「茶師」、「農夫」、「柴賣女」、「筏師」、「炭焼」等について、大きな插繪入りで解説されてゐます。卷七は、「嶋原の茶屋」、「嶋原」、「久津輪」、「傾城」、「野郎」等々で、その後半は、「勸進餬部(くはんじんもらいのぶ)」といふ、いはば門付けの人々百科。知つてゐるところでは、「獅子舞」、「太平記讀」、「猿舞(さるまはし)」、「萬歳樂」などなど三十八種。教科書にしては柔らかい内容滿載です。

 

さういへば、小沢昭一先輩が、『日本の放浪芸』(角川文庫)や『私のための芸能野史』(ちくま文庫)で、「世の中の暮らしの変化とともに消えていった放浪漂泊の芸─〈放浪芸臨終の立会人〉としての、とことん執着のリポート」をされてをられます。で、この書はその先驅とでもいへるでせうか。むろん、同時代の教養本はのんきな感じでありまして、先輩のはうは言ふに言はれぬ哀感に滿ちてをりますですね。はい。

 

それでですが、江戸時代に出された和本は、中野三敏先生ぢやありませんが、價値判断、つまり今日的にふさはしいといふか價値ある事柄だけを、「蟲眼鏡とピンセット」でつまみあげるやうにして讀んだんでは、決して學べないであらう江戸時代の眞實が傳はつてくるのであります。なにせ、これは、元禄三年(一六九〇年)刊行ですからね、あのケンペルさんが醫師として來日した年ですよ。 

このやうに、ぼくはまだ新米ですから、翻刻がある本については、參考にしてしまひますが、ぺらぺら讀める力、すなはち「和本リテラシー(和本を讀み解く能力)」を高めていくことが、目下のぼくの使命であると思つてはゐるんですが、樂しみ過ぎかも知れません。 

まあ、言ひ譯ではありませんが、くづし字といつても、すらすら讀めるものもあれば、超難解のくづし字も見られます。その最たるものが、『俳風末摘花』 でせう。翻刻版がなければ、たうてい讀めませんね。といふことはお樂しみの意味内容を理解することさへできないのでありますから、これは眞劍にならざるを得ません。その本文は、今日の寫眞でご覽ください。 

 

今日の寫眞・・『人倫訓蒙圖彙』と『俳風末摘花』。插繪の女性が何を恥ずかしがつてゐるかは、な・い・し・よ。

 


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