十月十六日(水)庚申(舊九月廿三日・下弦) 曇りのち晴れ
「中仙道を歩く(十九・後編)」の册子版ができあがりました。三日目なんて、ほぼ全部書き改めたやうなもんでした。頁も四十頁、和本風に言へば、二十丁です。今までで最も多いんではないでせうか。
それで、次回のための準備もはじめました。五日後と迫つたからです。まづは、持ち歩く參考書をコピーして、三日分それぞれを分册にして綴じました。これからは、それこそ書くことが激減するのではないかと思ふのですが、それはまたそれで寂しい事です。でも、いづれにせよ、ええッといふやうな出會ひがあることを期待したいです。
今日の『狂歌問答』・・六回目、昨日の續き、あとの半分です。
「独來てひとりひとりかへるも迷なり きたらずさらぬ道をしえん 一休」
「つまや子が側で歎くもきゝいれず 死でゆく身になんのいんどう 蜷川」
「極樂ハ十万おくどはるかなり とてもゆかれぬわらじ一足 一休」
「歳どしに惡魔げどうの流さるゝ その西方にゆきたくもなし 蜷川」
はい、どうでしたか。お好みの歌はあつたでせうか。次はどうでせうか。
「お引とりくだされなどと洒落かうべ うそのかハをば面にかぶりて 一休」
「看經のうしろでしやかの蚊遣たき いつすんさきハみなやみだ佛 蜷川」
「昨日過去けふの現世にあす未來 おきての神に寢ての身佛 一休」
「一代の守り本尊をたづぬるに われ人ともに食(めし)と汁なり 蜷川」
「看經(かんきん)」とは、經文を黙讀、或は讀經することです。「身佛」は「みほとけ」と讀みます。
實は、「看經の」の中の、「蚊遣(かやり)」がなかなか讀めなかつたんです。久しぶりに、「くずし字用例辞典」と「くずし字解読辞典」と取り組んで、どうにか、解讀できました。とくに、「蚊」の字の偏が虫偏だとわかるまでが苦勞でした。