十月廿九日(水)癸酉(舊閏九月六日) 晴れ

 

今日も通院。それで、歸りにまた古本まつりに行つてしまひました。でもあまり出費はしたくありません。そこで、自分に課して、芥川龍之介及び、『義仲論』に關した書物なり論文なりを探してみました。これだけ大きい古本まつりだと、ぼくにとつては圖書館みたやうなものです。が、探しても探してもありませんでした。

そこで、仕方なく、八木書店一階の、“作家あいうえお順コーナー”を訪ねてみました。「あ」ですからほぼ冒頭に四段ほど竝んでゐました。時間をとりましたが、ぼくは、表題で内容がわかるもの以外の、「芥川龍之介研究」とか、「・・・論」とか、「・・・読本」とか、「・・・人と作品」とか、「・・・案内」とかのたくさんの書物をそれこそ一册ごとに開いて、もくじを丁寧に見ました。ところが、『義仲論』にふれたものは皆無、一册もありませんでした。

年譜を見ると、明治四十三年(一九一〇年)、芥川龍之介、十八歳の時に書いてゐるんです。いやあ、早熟といふか、鬼才といふか、『義仲論』の文章を讀んでびつくりです。例へば・・ 

 

「天下太平は物質文明の進歩を齎し、物質文明の進歩は富の快楽を齎せり。単に富の快楽を齎せるのみならず、富の渇想を齎せり。単に富の渇想を齎せるのみならず、又実に富の崇拝を齎し来れり。長刀短褐、笑つて死生の間に立てる伊勢平氏の健児を中心として組織したる社会にして、焉ぞ傾倒を来さざるを得むや。・・・ 

 

なんとまあ、もつて回つた言ひ方でせうか。若氣のいたりとは申せ、尋常な頭腦ではありませんね。十八歳ですよ! こんな文章が連綿と續くんですから、簡單には讀めません。

まあ、なぜ、彼が、『義仲論』を書いたのか、ぼくはそれが氣になつて仕方ありません。 

 

今日の寫眞:宮ノ越宿、「義仲館」の木曾義仲と巴御前の像。

 

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