十月(神無月)十一日(土)乙卯(舊九月十八日) 晴れ

 

今朝早く、母が、となりの良ちやんと出かけました。上野驛で妹のみゆきとも合流して、長野縣佐久市に住む弟の山の家に遊びに行つたのです。母は泊りです。それで、今日は妻と二人で買物に出かけました。

日本橋高島屋に連れていかれて、妻が探しておいたの登山用品賣り場に行きました。あれこれ見たすゑに、ファイアーフォックスの、山用の輕いズボンと、ベストと、それに足元の防水用のインスパッツといふのを購入しました。ジーパンだと、汗や雨に濡れると重たくなつてしまふからです。氣持好く買物できました。お晝の食事も一緒にいただきました。

例の如く、それからは別行動です。ぼくは、性懲りもなく、東西線で高田馬場驛まで行つて、早稲田通りの古本屋街を巡つてしまひました。 

 

ところで、近頃とみに“くづし字”が讀めるやうになつてきたのです。これは、讀む本がやさしいのか、ぼくの解讀能力が向上したのか、ちよいと判斷に窮するところなんですが、ぼくはたいへんうれしいです。そこで、昨日求めた、和本の、『一休・蜷川 狂歌問答 児女教訓』を讀み解いていきたいと思ひます。といつても、ただ讀むだけですけどね! なにせ、「児女教訓」ですから、讀めば子どもでもわかる内容です。

今日の写真」を見てください。出版の年月はわかりません。本の末尾に、「地本書肆 江戸芝神明前 和泉屋市兵衛板」と記されてゐるだけです。見開きの頁で十枚あります。つまり、全十一丁の和本です。

お相手の蜷川新右衛門元春がどんな人物かはわかりません。一應調べてみます。上部にある細かい文字の部分は、後でまとめて讀むことにして、寫眞の左頁の左半分の狂歌を讀んでみませう。

 

「門松ハめいどのたびの一里づか 馬かごもなくとまり屋もなし 一休」

「年越ハめいどの旅の問屋場の 月日の飛脚足をとどめず 蜷川」

 

わかりましたか。〈あんちよこ〉がないので、わからない文字が出てきたら、□で記すつもりです。毎日、すこしづつ讀んでいきたいと思ひます。

 

コメント: 2
  • #2

    ひげじゅん (月曜日, 13 10月 2014 23:27)

     いやあ、ぼく自身の勉強のためなんですけれど、せつかくだから、みなさんにもおすそ分けしようかな、と思ひたつたのです。でも、どうにか讀めさうですなで、恥をかかないですみさうです。はい。これからもお樂しみに!
     上田秋成さんと本居宣長さんとの論争については、じつくりと、腰をすへてとりくんでいきたいと思つてゐます。おつきあひのほど、よろしく。ひげ

  • #1

    mori toyoharu (月曜日, 13 10月 2014)

    一休さんと蜷川さんの問答歌、大変に面白いです。また、文字も読めば、くずし字の勉強にもなりそうです。昔の人たちは、このような教訓を体得していたのかなとおもいました。小林秀雄の歴史観は、死人の話とか、とんでもない話です。
    一休さん考えは現代でも立派に生きていて、通じます。