二月六日(金)癸丑(舊十二月十八日 晴

今日も『中仙道を歩く(廿三)』(大井宿~御嵩宿)を書き進みました。二日目に入りました。あと一息ですが、三日目には大きなテーマが二つ待つてゐます。

 

ぼくの讀書(十五)・・丸谷才一著『日本語のために』(新潮文庫・一九七九年四月二日讀了。後再讀)。ぼくが、正字正假名遣ひを決心したのは、福田恆存の『私の國語教室』と塚本邦雄の『國語精粹記』の二册によつてですが、實際に使ひ方を學んだのは丸谷才一さんだつたやうに思ひます。

「言葉と文字とは、本来、文明の伝統に属してゐる。だから歴史の厚みを存分にうけとめたかたちで、自在に伸びちぢみしながら、今日の実用に役立つことができるのである。・・漢字の字体にしても、いろいろな字体がいづれも正しいといふ、いはば複数的な正しさが認められてゐた。・・ところが一片の法令で漢字と仮名づかひがたちどころに改変され、・・眞実はたつた一通りしかないことになつたのである。こんな窮屈なことになつたのは、日本語が官僚統制の対象となつたせいにほかならない。・・国語改革のもたらした劃一主義、官僚主義は、小心翼々たる自己規制によるものだつたと言はなければならない。・・」

あるいは、かうも言つてゐます。「本当はこの新字体を廢止するのがいちばんいい。・・われわれ日本人は日本語を国家にまかせてのほほんとしてゐる現状を反省しなければならない。めいめいの生活の基本的な道具である国語を、めいめいの手で洗練させなければならない」。

ぼくは、中學生のころ、國語の試験で、漢字について、正しく書いたにもかかはらず、下のところがはねてゐたかゐなかつたかして、バツにされた苦い思ひ出を未だに忘れてはゐません。悔しかつたです。そんな思ひが、それから二十年もたつた、一九八〇年頃から、正字正假名遣ひはじめた遠い原因かも知れません。


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