二月九日(月)丙辰(舊十二月廿一日 曇りのち晴、寒い!

晝から弓道場へ行きました。昨年の初夏以來、カーボンの弓を使つてゐるんですが、竹弓の良さを改めて思ひ、先週から太いゴムの輪を使つて、肩の筋力をつけようとしてきました。しかし、まだまだ不十分でした。カーボン製の弓は十三キロですが、竹弓は十五キロあるんです。この二キロがくせもので、思ふやうに引き絞れないんです。

それで今日はすぐ、カーボンにかへてしまひましたが、筋力をつけて、なんとか竹弓を使ひこなしたいです。持ち腐れでは、あまりにももつたいないはなしです。

 

歸宅してからは、キリシタンについてあれこれ調べました。いつごろ美濃にキリスト教が傳へられたのか、宣教師は誰だつたのか。ルイス・フロイスの『日本史』とレオン・パジェス著『日本切支丹宗門史』の、索引を利用して、漸くわかつてきましたが、まとめるとなると、難しさうです。それと、寛容な織田信長に對して、秀吉と家康はなぜキリシタン信仰を禁じて、さらに過酷な彈壓と迫害をなしたんでせうかね。そこのところも知つておきたいですね。

 

今日の讀書・・昨夜、丸谷才一著『思考のレッスン』(文春文庫)を讀み終へました。勉強なりました。何が勉強になつたかといへば、ぼくが實行してゐたことが間違つてはゐなかつたことがわかつたことです。ことことばかり言ふのは、まだ、思考が練れてゐない證據ですが、まづ、内容を紹介します。

レッスン1から6まであります。1思考の型の形成史、2私の考えを励ましてくれた三人、3思考の準備、4本を讀むコツ、5考えるコツ、6書き方のコツ、以上です。けつこう具體的に書かれてゐるので、すぐ實行にうつせることばかりです。

内容の本筋からは離れるのですが、歴史的假名遣ひについて、面白いことをおつしやつてをられるのです。「福田恆存さんがああいう守旧派的態度をとらないで、柔軟な態度で臨んでいれば、歴史的仮名づかいはもう少しなんとかなったはずです。あれは福田さんが国語問題で犯した大きな間違いだったと思いますね」。

どういふことかと言へば、福田恆存さんが、「漢語の読みである字音仮名づかいも、昔通りのままでやらなければならない」といふ、三島由紀夫の意見に贊同してしてしまつたことを差してゐます。字音假名遣ひといふのは、あの「テフテフ」といふやつです。「世間一般の人だって、「ちようちよう」を「てふてふ」と書けと言われれば、いやになっちゃいますよ。だから、字音は現代仮名づかいで表記するということにしておけば、歴史的仮名づかいが定着した可能性は大いにあった」。

これは、ぼくには、目から鱗の指摘でした。ぼくだつて、字音については、現代假名遣ひですもんね。これを昔通りに書くとしたら、たしかにいやになつてしまひます。ところで、この本は編集者との對話だからでせうか、正字はいいとしても、歴史的假名遣ひでなかつたのがちよいと寂しかつたです。


あ、さうだ。二月の一日に、「蟲喰ひ川柳」の問題を、メールを通じてぼくの知り合ひのすべてに救ひを求めたんですが、今日現在で、七名の方から怪答・珍答をいただきました。明日正解が發表されますので、みなさんにお知らせしたいと思ひます。

 

今日の寫眞・・レオン・パジェス著『日本切支丹宗門史』(岩波文庫)と、『聖フランシスコ・デ・サビエル書翰抄』。


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