二月十九日(木)丙寅(舊正月朔日・朔・雨水 晴

ワード版の『中仙道を歩く(廿三)』を、册子版(パワーポイント版)に編集し直しはじめました。ワード版では、あれこれ寫眞を多く本文に合はせて載せましたが、册子版は、スペースが限られるので、寫眞を少し減らさないとなりません。惱んでしまふところです。

 

今日の讀書・・遠藤周作『対論 たかが信長 されど信長』(文藝春秋)を讀み終りました。織田信長について、樣々な方の考へを知つて有益でしたが、とくに、『武功夜話』といふ、伊勢湾臺風による水漏れ修理の際に土藏の中から發見された古文書といふか、戰國史料には興味がわきました。『信長公記』には抜けてゐる、「若き日の信長、また秀吉に関する新事実が書かれて」ゐるんださうです。しかも、發見された當主(吉田蒼生〈たみお〉さん)、つまり、本書の主人公である、前野將右衛門の子孫の方が對談に加はつてゐて、貴重なお話を聞くことができました。

著者は吉田孫四郎といつて、後半生を、前野家の記録を整理し、『武功夜話』としてまとめることに費やしました。ところが、晩年には、目が不自由となり、編集を手助けしてゐたその娘千代が協力しました。そしてまた千代が獨自で記したものが、補卷「千代女書留」として殘されてゐるんです。

 しかし、千代は、寛文七年(一六六七年)、キリシタンとして處刑されたのです。ぼくの《キリシタン年表》によれば、その年には、「尾張藩で信者七五六人處刑」とありますから、その中の一人として死んでいつたのですね。

すぐネットで、調べてみました。すると、武功夜話 前野家文書 吉田蒼生雄全訳 全四卷+補卷』として新人物往来社から出版されてゐることがわかりました。

 

今日の寫眞・・やつと捉へた野良猫三兄妹の寫眞。左から、黑くて一番活發な次男のブンゴ、長男のコヤタ、そして車輪の影に潛んでゐるのが、臆病で榮養不足の長女のモモ。毛色がみなみごとに違ふのです。みんな妻がつけた名前です。モモはこのところ食事ができないほど具合が惡さうでしたが、やつと食べだしたので、ひと安心です。二枚目は、彼らの母親です。實に氣が強くて、避妊手術をさせたいのですが、なかなか捕らへられません。



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