正月廿日(月)辛卯(旧十二月廿日・大寒) 晴れ

六時に目が覚め、すぐに葛飾FMをつけました。やつてゐました。今朝は、「寒い朝」「お座敷小唄」「ダイナ」「ウナセラデ東京」その他。なんだか朝からほつとします。さういへば、「寒い朝」は、我が散歩道の「鈴懸の径」と同じ、佐伯孝夫の作詞でしたつけね。

そして、《親子で楽しむ論語の時間》です。

「子曰はく、君子は諸(こ)れを己に求む。小人は諸れを人に求む(子曰、君子求諸己、小人求諸人)」。つまり、君子は自分で考へて行ひ、反省もするが、小人は、考へもせずに、失敗すると人のせいにする。いや、今回も胸にグサッとくるやうなお言葉です。深く心に反芻したいと思ひます。

問題は、それからまた寝てしまつたことです。もう起きない? と妻に声をかけられて時計を見れば、なんと十二時。食事はお昼と一緒でいいよと返答し、何気ないふりをして、母と妻とコロッケパンをいただきました。

 こうなれば、午後の散歩はぼくが行くしかありません。名誉挽回はこまめにやることが肝心なんです。ある時期、汚名を重ねたもんですから、「もしわたしがゐなくなつても、探さないでね。ましてや、テレビで、『美知子、帰つてきてくれ~!』なんて言はないでね」ときつく言はれたときには、心底ビックリ、それからは、いつ出ていかれてしまふか、朝起きるとゐないんぢやないか、寝付けない日々がつづいたのであります。もちろん、その状況は現在でもまつたく変はりありませんのです。はい。

 昼からは、『十年日記』の続きを読みました。ぼくが現在思ひ返す出来事のいきさつと、実際起きた、とくにその前後の経緯が違つてゐることが多いのには驚いてしまひます。確認しつつ、《伊豆の山暮し》を書き継いでいきたいと思ひます。

 それと、先日の「中仙道を歩く」で歩いた大塚さんから、「百合若伝説」についての〈特別寄稿〉が届いてしまつたのです。これはうかうかしてられません。あと二日すれば、しばらくは外出しなくてもすむので、そろそろ「中仙道十二」の執筆にかからなくてはなりません。

 以下、「いくいく会」の森さんから、「甲州街道を歩く」、原から、茅野泊まりで諏訪までの報告が入りました。十八日と十九日の両日ださうです。

甲州街道歩きは、初日は約2万歩、距離数は約10キロメートルでした。昨日は約2万三千歩、距離は約12キロメートルでした。積雪があったり、坂道があったりで大変でしたが、好天気だったので、汗もかきました。雪道には慣れてないので、転ばぬように足を小股にしてあるいたり、思わぬ力が入っていて、今日は太ももと脹ら脛が少し痛くなりました!!

 

今日の写真:午後の散歩風景。思はぬ友だちにも会へました。