正月十三日(月)甲申(旧十二月十三日) 晴れ、冷え込む

朝、起きると同時に、ラムと散歩に行きました。底冷えといふ感じでした。マスクをして出ました。どういふわけか、あんなにぶるぶる震へるラムですが、散歩のときには震へもせず、残された最後の(?)嗅覚を存分に発揮しての散歩姿。年老いたとはたうてい思へない歩きつぷりなんです。

そこで、今日は、久しぶりに足を延ばして、「鈴懸の径(みち)」を歩いてみました。ここは通学路にもなつてゐますが、車は通れないので、お犬様の散歩銀座でもあるんです。有名な歌があるんですね。その歌詞が掲げられてゐます(今日の写真参照)。こんな道と碑、昔からあつたのかどうか、四十年ご無沙汰してゐた故郷ですから、きつと、その間に作られたのでせう。

朝食後は、ラムの写真とは別に撮りためた、デヂカメ以前の伊豆の山暮しの日々の生活の写真を、デヂカメで複写をはじめました。これまたたくさんの枚数で、だいぶ気長に進めないと終りさうもありません。『十年日記』を読みながら、照らしてみると、もう心は山の家に舞い戻つた気分です。どうにか、はじめの(一九九四年)四月から六月までを終はらせたところですが、いや、これから書く《伊豆の山暮し》のテーマとしては、十指をもつてしても足らないくらゐなんです。どうしませう。すこしづつ取り上げて書いていくしかないでせう。とりあへずは、水源確保の話を続けたいと思ひます。

 

《伊豆の山暮し》その十

 何が「伏兵」かといへば、それはイノシシです。実は、先走つてしまひましたけれど、水源確保の冒険に実際に取り組みはじめたのは、一九九九年の四月二日からなんです。この日に、伊藤さんが例のチューブを持つてきてくださつたのです。「日記」にさう認められてゐます。

 それで、イノシシですが、移り住んだ何年かは、イノシシのイの字も話題にならないほど見かけなかつたのです。それが、二、三年めだつたでせうか、いきなり庭先に現れたのには本当に度肝を抜かれました。ガラス戸に影が行き交ふのです。息づかひも不気味です。檻に入つてゐるからかはゆく見えるかも知れませんが、恐ろしいものです。いや、これは本能的な恐怖といつたらいいのでせう。そのイノシシが、せつかく引いたチューブをズタズタにしてしまつたのです。

 

今日の写真:朝の散歩、「鈴懸の径」にて。模様替へして広くなつたラムの寝床。我が『十年日記』。捕らはれたイノシシ。