正月八日(水)己卯(旧十二月八日・上弦) 曇天、日中一時晴れ夕方から雨 

この二日ばかり外出したので、今日は、在宅日でした。パヂヤマデイにしようと思ひましたが、妻は風邪の兆候を示すし、いつ何時人が訪ねるかわからないので、心を引き締めて、普段着に着かへました。

勉強はどうしても座り机のはうが気分が落ち着きます。でも、ジーンズ姿での胡坐はちよつと窮屈なんです。でも、気を取り直して、今朝は、『方丈記』を机の上に広げました。もちろん「影印本」です(今日の写真参照)。『竹取物語』と『古今和歌集』は、ほとんどが仮名文字ですから、変体仮名といつても、慣れれば読めます。慣れれば、といふのは、説明が必要かも知れません。それは、書く人、或は、写した人によつて、個性的な文字使ひをするからです。『竹取物語』の変体仮名に慣れても、『古今集』になると、べつの変体仮名を用ゐるので、それに慣れるのに、数ページは必要なんです。

ましてや、『方丈記』の時代になると、くづした漢字が加はつてきます。いはゆる、古文書のやうな激しいくづし字ではありませんが、楷書に慣れてゐるぼくたちには、やはりとつつきにくいものです。そばには、参考のために、岩波文庫はじめ講談社文庫など数冊の現行本をおいておきますが、はじめのうちは、何度も覗いてしまひます。『くずし字用例辞典』と『くずし字解読辞典』と『漢字くずし方辞典』は必需本で、この三冊を併用して調べますが、はじめは、むしろ、文庫本を見たあとで、確認のために見るはうが多いです。短い内容ですので、慣れるまでには読み終へてしまふのではないか、とちよつと心細いです。

 

《伊豆の山暮し》その八

〈その七〉を書いてから、だいぶ間がたつてしまひました。あれは、十二月二十一日でしたから、約三週間になります。まあ、断片的な思ひ出話しか書けませんが、思ひ出すかぎり書いてゆきたいと思ひます。

さう、山から水を引く話でした。なにしろ、下見に行つた時に見た谷川の流れ、といつても、さらさらと岩場を流れ下つてゐるやうなもんでしたが、顔や手を洗ひ、飲み水にも使へるだらうとの希望と喜びは、家が出来上がるまでのあひだに大きく膨らんでいくばかりだつたのです。それが、ある時、それは、大雨のあとにしか起きない現象であることを知つたときの落胆たるや、自分でも情けないくらゐでした。

しかも、その谷の水たるや、大雨が降れば激流となり、降らなければカラカラ。はじめて見たときは、激流もおさまり、ほぼ山に吸ひ込まれていく寸前の、僥倖に恵まれた瞬間だつたのです。

それからです、引つ越しが終り、生活も落ち着いてきた頃から、むくむくと水源開発計画が重きを占めてきたのです。まづ、雨が降つたあと、谷底を上り、水が湧き出してゐるところを探しました。大雨ではありませんから、下までは流れてきませんでしたが、たしかに、流れ出るところが見つかつたのです。それもわづか、ちよろちよろといつたものでした。水路を作つて引かうとしましたが、いかんせん水量が少ないのです。すぐ吸い込まれていきました。悔しいです。どうしたらいいのか。解決策は、常に水が湧き出してゐる水源があるかどうかに的をしぼりました。

 

今日の写真:影印本『方丈記』と、水源開発(!)のはじまり。上は、湧き出たわずかの水を竹樋で引いたところ。下は、大雨のあとの激流(きれいな水ですけどね)。橋はぼくが拵へたものです。