正月廿八日(火)己亥(旧十二月廿八日) 晴れ、日中暖か 

今日は朝から、軒の屋根のペンキ塗り替へのために、業者が来ました。先日は、水道管に罅(ひび)がはいつたので修理していただきましたが、このところ、家のあちこちの維持管理のために、気を使ふことが出てきました。

現在の家は、ぼくが結婚と同時に関西の西宮市に移り、さらに静岡の清水市で暮しはじめた頃に、父と母が二人きりをいいことに、自分たちだけの考へで作られた家なんです。いや、あとで母が設計したと聞きました! ですから、ぼくは、本心を言へばまつたく愛着がないのです。母は、父との思ひ出いつぱいの家で、今もつて父がゐた時と同じ暮らし方を続けてゐます。不肖の息子としては、たしかに帰る家があつてたいへんありがたいと思つてゐます。しかし、ここだけの話、住まひづらいのも辛いものなんです。はい。

築三十年以上、いや四十年近くたつでせう。母は、気がつくたびに、あそこも、ここも直さなければ、と言ひ出すんですが、そのたびに、何とか言ひ繕つて、今までそつとしてきました。今日の業者は、屋根も直したはうがいいんではないですか、と言ひましたが、母には絶対聞かせてはならんのです。どうにか、錆びたトタン屋根だけは塗り直すことにしましたが、「気に入つた家で暮したいね」が、ぼくと妻の密かな合言葉になつてゐます。

 

錆びついたペンキを剥がす音を聞きながら、今日は、ですから、今月の「中仙道を歩く」の写真の選別と加工の作業をしました。二七〇枚から、どうにか一二七枚を選び、トリミングやらサイズ変更やらで夕食時間までかかつてしまひました。すべて使へるわけではありませんが、話の書き方によつては、選ぶ範囲を広くしておかなければなりません。

調べてみましたら、日本橋から坂本宿まで、たくさんの写真を撮つてきました。一番多いのは、第一回の日本橋から板橋宿まで。なんと五三三枚撮つてゐます。きつと気負つてゐたんでせう。少ないのは第七回、熊谷宿から深谷宿までで一五〇枚。思ひ出すだに恐ろしい、あの酷暑のなかで、気もそぞろ、シャッターを押す気力にも欠けてゐたんだと思ひます。

それにしても、これほど多く撮れるといふことは、有り難い反面、決定的瞬間を撮らうとする緊張感をなくしてしまつてゐるのではないかと反省させられます。ともかく、旅の緊張感が忘れ去る前に書きはじめなければなりません。

 

今日のラムは、またおかしかつたです。午後、横になつてゐたら、急にベッドに上がつてきたんです。もちろん抱き上げ、そばに寝かせてあげました。午後の散歩の後、三時頃に出す二回目の食事には見向きもしません。食欲もないやうで、夕方もう一度散歩に連れ出したら、そのあとでどうにか食べることができました。気にしてあげれば、それだけ気になり、心配にもなります。どうしたもんでせう。

 

今日の写真:ベッドのラム。