二〇一四年正月(睦月)一日(水)壬申(旧十二月朔日) 晴れ、風もなく穏やか 

 九時に起床。すでにラムは散歩に行つてきたやうだし、台所に下りてみると、朝食の支度も整へられてをり、まるで普段の生活と変はりませんでした。ああ、これでは、また同じやうな一年になつてしまふのかなと、反省やら、悔いやら、それでも生きて行かなくてはならない使命感を奮ひ起こしてテーブルに着きました。

 テーブルの前には、でんとテレビが据えられてゐます。それで、食事の時には、どうしても目に飛び込んでくるのですが、これほどの拷問はない、とぼくは断じて言ひたいのであります。その内容もさることながら、つい「判断」してしまふのです。聞き逃す、いや見逃せないのです。いへね、面白いとか面白くないのならまだいいのですが、つい批判したりして、もう、ごはんが不味くなつて仕方がありません。

やはり、伊豆の生活が穏やかだつたのは、テレビも新聞もなかつたからです。それは確かなことです。食事の間は妻とよくお喋りしましたしね。さうさう、ある夕食の時なんて、その日借りてきた「ゴッドファーザー」全三部作のDVDを見たといつて、そのあらすじを、延々としやべるのです。もちろん、忍耐強くお聞きしましたです。それと、山暮しでは、よくいへば、読書を通して、批評眼といふものを培つてきたのかも知れません。それ故に、よけいに敏感に反応してしまうんでせう。「仙人」にはたうていなれませんでした。

さうです、昨日買ひ求めた、浅田次郎さんの『一路』を読み始めたのです。ぼくは、自慢ではないのですが、読むのが遅いのです。とくに小説ですと、ものによつては、地図をひろげたり、年表や系図を出してきて、確かめながら、しかも想像を働かせながら、情景を思ひ描きながら読むのです。ですから、これも何日かかかるでせうね。それにしても、浅田次郎さんは読ませますし、泣かせるんです。上巻のまだ半分ほどですが、イメージがわいてくるんですよね。上手い証拠です。また、読んでゐると、BSの、人形浄瑠璃とともに語られた講談師(?)の語り口が耳によみがへつてしまひました。

内容もいいです。昨日一緒に求めた、『浅田次郎と歩く中山道』の〈巻頭エッセイ〉によると、「『一路』の主人公は小野寺一路でも蒔坂左京大夫でもなく、実は中山道そのものなのである。」と言ひ切つてゐますもんね。中仙道を歩いてゐるぼくにとつては、まさに他人ごとではないのであります。

その『一路』の中に、ぼくは、元旦からとてもいい言葉をいただいてしまひました。その一つは、お殿様の「お考え」です。「二百数十年の間に、おろそかにしてはならぬものばかりが消え、どうでもよいことばかりが残っておるのではあるまいか、と。世の中がかくも揺らいでいるのは、そうした繰り返しの果てに武士の魂が失われ、中身のない形骸ばかりが罷り通っているからではないか。」 これなんか、現在も通用するでせう。

さらに、極め付けは、「怠惰は真実を損う」といふ言葉です。これは、常々心に抱いてゐたことなので、思はづ腹を打つてしまひました(寝て読んでゐたからです。すみません)。これなんか、黙つてゐれば、真実は被はれてしまふといふことでせう。怠惰の罪をぼくたちは恐れなければならないと思ふのであります。いやあ、元日から熱くなつてしまひました。

 

今日の母の散歩:まづ、堀切駅前の郵便局に行つて年賀状の返礼を投函し、ひるがへつてお花茶屋へ向かひ、ぐるつとめぐり歩いたあとは公園で休憩。その後、商店街を往復してのご帰還でした!

今日の写真:どうか、想像してご覧くださいませ。