正月廿五日(土)丙申(旧十二月廿五日) 曇り 

昨夜、ぼくが日記を書いてゐると、妻がやつてきて、「読んでみて」、と三枚ばかしのコピーを差し出すのです。書いてゐる途中で、じやまだつたんですが、問ひかけられたら必ず応へようといふのが、まあ、せめてもの妻への感謝と付き合ひの基本といたしましたから、読んでみました。いやあ、妻が読ませたかつたことがよくわかりました。彼女も、かういふ生き方や考へ方に憧れてゐるんだらうなと思ひました。

それは、「いきいき」(二〇一三年六月号)に載せられた文面でした。「美術家 篠田桃紅さん」へのインタビューをもとにした記事で、ぼくははじめて見る名前でした。けれども、読んでゐて、とても胸に迫るものがありました。一〇〇歳になるまで、一貫した生き方をしてこられた姿勢に、ぼくは、思はず椅子に座り直しました。歴史において、時の移ろいとともに変わつてゆくものの多いなかで、変はらざるものは美意識ではないか。「人間性の奥底が求めているもの、それが本当の『美』でしょうね。あらゆる人に『ああ美しいなあ』と感動を呼ぶもの。そういうものがあれば、それは人類の宝ともいえるでしょうね。」

それと、とくにぼくが感動したのは、桃紅(とうこう)さんのお母さんの話です。桃紅さんが子どもの頃、学校でお裁縫がありました。友だちは、「華やかな花の柄」の布を縫つてゐるのに、自分だけは、母親が持たせた「縞や絣の地味くさい柄」で、それが恥ずかしく寂しかつた。ところが、ある時、わからないところがあつて、教員室に教へてもらひに行つたところ・・。

「先生が教えてくだった後に、隣の先生に『ねえ、先生、これいい柄ね』と言うの。『あら、ほんと。私もこんなのが一枚ほしかつたのよ』なんて、女の先生が次から次へと私の布を回し始めたの。友だちと比べて恥ずかしいと思っていた地味くさい柄を、先生はみんな評価している。そのとき、私は母に対する思いを改めたんですよ。母は子どもが喜ぶようなものをあてがわず、自分でいいと思ったものを持たせていた。母としての見識だったのですね。」

これをどう読んだらいいでせうか。ぼくは、桃紅さんの美意識と生き方の原点を見た思ひがいたしました。また、妻が望む生き方を、そして現在の生活における苛立ちを垣間見ることができたやうに思ひました。

いへね、ここだけの話ですが、いつか妻が花を活けたところ、そこに、母が、これきれいだからと言つて、造花を挿したんです。ぼくは、それを見たとき、妻が家を出て行つても仕方ないと思ふほどビックリしました。伊豆の山暮しでは、ふんだんに咲いてゐた野の草花を、小さな花器に、ときには大きな花器に活けて楽しんできました。しかし、造花ほどにくむべきものはありません。ぼくは、ただただ、妻の思ひを受けとめました。そして幸ひにも出て行かれずにすみました。

さうでせう。ニセモノ、といふか、子どもにへつらい、おもねつた物や事ばかりがまかり通る今の世の中です。日々の生活だつて、ニセモノ臭くなるのは必然でせう。せめて、身の回りには置きたくありません。本物に接することが、また本物の生活と人生を育てていくのです。このやうにぼくたちは生きてきたつもりなんです。本物にかこまれた生活をしたいではありませんか。

ところで、今日は昼から出かけました。弓道の月曜会メンバーの齋藤さんが入院されたので、そのお見舞ひです。はじめて御茶の水の順天堂病院を訪ねました。お元気そうな顔を見て、すぐ退散しました。お見舞ひでは、長居は厳禁なんです。そして、その帰り、水道橋駅のそばの、「かつ吉」といふ店に行き、とんかつをいただいてきました。齋藤さん、まともな食事もいただけてゐないのに、ぼくは後ろめたさも感じないで美味しく食べてしまひました。

 

今日の写真:篠田桃紅さんの近影。妻の生け花。かつ吉店内。