正月十七日(金)戊子(旧十二月十七日・土用) 晴れ

昨夜は、疲れて早く寝たせいか、六時半に目が覚めてしまひました。そのおかげで、葛飾FMの《親子で楽しむ論語の時間》を聞くことができました。今朝のお言葉は、「子曰はく、利に放(よ)りて行なへば、怨み多し(子曰、放於利而行、多怨)」。つまり、自分の利益を考へてばかりゐたのでは、心の通じ合ふほんとうの友達はできない、といふ意味のやうです。この言葉、今の首相にぶつけたいですね。

いや、それより、同じ『論語』の「子曰はく、君子は器ならず(子曰、君子不器)」のはうでせう。これをぼくは、どんなに名誉や地位があるからといつて、その人物がすばらしいとは限らない、と読んでゐたんですが、魚返義雄センセによると、「人物は道具じゃない」なんです! さうでしやう。人物を育ててゆくことが、国家百年の計たるべきもので、人を道具のやうに、「人材育成」なんて、使ひ捨ての思想にほかなりません。これは明らかに「積極的亡国論」です。このお言葉こそ、首相によく味はつていただきたいものです。いや、やはり孔子先生、いいこと言ひますね。

 

 ところで、夕べ、帰宅すると、妻が「これに出席する?」と言つて、〈親交自治会新年会〉のビラを差し出すのです。ぼくの家を含む、九十軒ほどの町内会の案内です。ぼくも、四十年の空白はありましたけれど、帰郷してぢき四年になります。昔は、そのほとんどが顔見知りでしたけれど、長い空白期間の間に、そもそも、顔がわからなくなつてしまひました。

それでも、父も母も深く関はつてきた町内会です。ぼく自身もお世話になりました。静観してゐるわけにはいかないなとは思つてゐたのです。昨年のお祭りにも顔を出しましたし、新年会ですから、出ようかと思つたのです。ところがです。よく見ると、開会挨拶のなかに、来賓挨拶として、公明党の葛飾区議議会議員がゐるではありませんか。それで、ぼくは、どうしようかと、考へ込まざるを得ませんでした。

ぼくは、公明党だからといつて偏見を持つてゐるつもりはありません。政治宗教、みなそれぞれが選ぶのはまつたく自由です。しかし、今回の「秘密保護法」に賛成した党です。それがどの党であらうと、ぼくは許す気はありません。今までよく顔を出してゐた近所の方にだつて、会つたら言はなければと思つてゐるのに、あれからまつたく会はないのですよね。ここでもし出席すれば、ぼくは黙つてゐるわけにはいかないでせう。そのことを、妻と母に言ふと、「ああ、さうね、出なくてもいいです」と、かうですよ。いや、「意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。」と言つたのは漱石さんでした(『草枕』冒頭)。

 

 それと今日は、ラムのシャンプーとカットの予定日でした。午後、散歩をかねて動物病院へ連れて行きました。どういふわけか、ラムのやつ、この病院に変へてからは、そんなにいやがらないのです。さうでせう。そこはすべて女性の先生とトリマーさんたちなんです。ラムより、まづぼくが気に入つてゐるんです。はい。ラムも、そのことを十分に察してゐるらしいのですね。とにかく、飼ひ主に忠実なんです。だから、決して人に悪意を持つてはいけません。でないと、本犬も忠実に飼ひ主の悪意を帯して、その人に吠えかかることでせう。

 さうだ、今日は、ぼくが手術を受けて三十七年になる、よみがえり記念日でした。

 

今日の写真:町内会の昔のお祭り記念写真、父と次郎吉おぢさんも写つてゐます。いづれも我が家の前。ラムの散歩。動物病院。シャンプー・カット後のラム。生死五分五分と宣言された、手術前夜の覚悟の写真、みんな戦友! 今、どうしてゐるのだらう?