正月廿四日(金)乙未(旧十二月廿四日・下弦) 晴れのち曇り 

いつもの生活に戻りました。葛飾FMの〈音楽の回廊〉から、「ふれあい」「愛ちゃんはお嫁に」「逢いたいなああの人に」「すみだ川」「白いページ」などなどを聞きながら起床、ラムと散歩に出かけました。

「記すに値する毎日」といふ副題の、「日記」のアンソロジーがありましたけれど、言ふは安く行ふは難しですね。ぼくは、記すに値しない毎日を、それこそ五十年近く書いてきましたけれど、それは、ある意味で忘れるために書いてゐたやうなものでした。このたび、「ひげ日記」の場を得られて、ますます忘れることが多くなりました。そのかはり、思ひ出すことも多く、忘却の彼方に行つてしまふ前に書き留めておきたいと思ふのであります。

ぼくは、『日本書紀』から読み始めて、「六國史」を読み上げ、さらに『日本紀略』を読み進んでゐるんですが、その過程で視界に入つてきたのが「古記録」といふものでした。ずぶの素人が手を出していいもんだらうかと、ためらひましたが、たまたま出かけた藤沢のジュンク堂で手にした、小山田和夫『入門 史料を読む 古代・中世』が、ぼくの進むべき道を決めてしまつたのです。その中で、『御堂関白記』などの古記録といふものの存在、「史料綜覧」や「大日本史料」なる未完の厖大なる歴史書があることを知つたのです。続いて、齋木一馬『古記録学概論』を読みました。天皇の日記から、藤原定家の『明月記』、関白太政大臣九條兼実の日記『玉葉』など多くの人の日記を、一部ではありましたけれど、読めたことにぼくは感動してしまつたのであります。わくわくしてしまひました。

古記録といふのは、一言で言へば日記です。筆者当時の生の声が聞こえてくるのです。「事実は小説より奇なり」そのものなんです。古本屋通ひにも熱が加はりましたね。だつて、例へば、あの悪左府と呼ばれた藤原頼長の生の声を聞いてみたいと思ひませんか。『台記』がその彼の日記です。ぼくは、時代に沿つて読みたいので、いまだ積んどくになつてゐますが、『玉葉』とともに是非読んでみたいんです。

この、古記録にたいして、「古文書」があります。たいして興味がなかつたのですが、くづし字を学ぶ過程で読まざるを得なくなりました。古文書とは、手紙(私文書)や公文書の事です。相手がゐて差し出し、応答を求める文書・書類のことです。これも、活字本で読めば済むことですけれど、どういふわけか、古文書といへば、あの変体仮名と草書体漢字の、いはゆるくづし字です。そのおかげで江戸時代にも関心が移り、さらに、「中山道を歩く」ですから、ぼくの単純な頭は混乱しかかつてゐるのですが、おかげで、江戸時代の書物(和本)についても関心が向いてきました。

実は、ぼくは愕然としたのです。江戸時代にどれだけの書物が出版されてゐたか? なんとおよそ百万点です。そして、現在活字化されてゐるのが、その一パーセントにも満たないといふのです。どうしたもんでせう。明治時代を経て、みな忘却の彼方へ押しやられてしまつたのです。勿体ないですむことでせうか! なんだかんだと時代小説流行りですけれど、「現在の文化を成熟させるには、何はともあれ過去を現在から連続的に振り返る術を持たねばならぬ。しかるに現在の日本の知識人の大半は、その術をいとも簡単にふり捨てて、しかもそのことの重大さにほとんど気がついていないのではないか。」 空間的他者と接するツールたる外国語より、まづ、時間的先達と接するツールとしてのくづし字の意義は、どれほど強調してもし過ぎることはない。このやうにのたまはれる中野三敏さん(『和本の勧め』)のご意見に、ぼくは心から「異議なし」と応答したい。

 

 今日の写真:ラムの散歩風景。