四月廿八日(金)乙酉(舊四月三日 晴

 

今日は朝から妻と一緒に家を出ました。妻が吉祥寺に行くといふので、ぼくも、神保町を後回しにして、高圓寺までおつき合ひしました。が、まあおつき合ひはそこまでで、あとはそれぞれ別行動。 

高圓寺の西部古書會館を見たあと、神保町の古書會館を訪ねましたが、今日はどういふわけか、西部のはうが掘出し物が多かつたです。珍しいことです。 

歸りは、新小岩驛からバスで龜有まで行き、病院に母を見舞ひました。まだひとりで歩くことはできませんが、だいぶ回復してきたやうです。

 

で、『源氏物語』 はほとんど讀めませんでした。といふより、なんだか冒険小説が讀みたくなつて、水道橋驛近くの古本屋で、船戸与一の『黄色い蜃気楼』(一〇〇圓也)を見つけたので、歸りの電車とバスのなかで讀みはじめてしまひました。たまには、アドレナリンを放出しないと枯渇してしまひます。 

 

《東京散歩》〈コース番號5〉「川邊散策」 (つづき)

 

下町の路地を地圖に從つていくと、細長い公園に遭遇しました。そこは、ガイドブックによれば、船堀緑地と言ひ、石神井川の舊河口部分だといふのですが、たしかに左に折れて進むと、その先は行き止まりですが、隅田川にぶつかつてゐます。くねくねした河口部分が改修されて、この先の現在の石神井川になつてゐるんですね。 

さつそく進んでみましたら、ありました。新堀橋です。眞上には中央環状線が走り、石神井川が隅田川に注ぎこんでゐます。 

橋を渡ると、なにやら大がかりな工事が行はれてゐます。これも、日本の底力なんでせうかね。クレーンが何基も林立してゐます。 

さう、この路地が舊鎌倉街道といふのですから、言はれてみなくてはわかりません。さらに、左、右と進んで、福性寺と白山神社まで來ると、ガイドブックの地圖から離れて、隅田川べりにあつたといふ、梶尾の渡船場跡を訪ねました。このへんはいくつも渡船場があつたやうで、それだけ人々の往來が激しかつたのでありませう。

 

もうここまでくれば、あらかわ遊園地もすぐそばです。だいぶ日が陰つてきましたが、のんびり歩くことにしました。 

讀賣新聞と日刊スポーツの印刷工場がこれまた廣大な土地を占めてゐます。もとは、下野紡績といふ工場の跡ださうです。ふたたび路地に入ると、このあたり、裏には隅田川が流れる隙間のやうな土地ですけれど、ここにレンガ工場がいくつもあつたところだと言ひます。あらかわ遊園地にしてから、レンガ工場だつたやうです。 

たしかに、見慣れないレンガ塀の家が見られましたし、船方神社には、レンガ造りの「神輿庫」がありました。見慣れたレンガと違つて、色も焦げ茶色の硬質のレンガですね。明治時代のレンガ造りの建物のレンガは、ここで大量に作られたのでせう。 

とかなんとか、ベンチに腰掛けたら、目の上の木蔭から観覧車が見えるではありませんか。もつとも、時間は遅くて、すでに營業は終了してゐるのでせう、動いてはをりませんでした。 

都電、荒川遊園地前驛に、五時四〇分到着。正味一〇九二〇歩でした。(歸宅後見たら、一六四〇〇歩でした。よく歩いた一日でした。)

 

 

今日の寫眞・・石神井川舊河口部分の緑地。石神井川河口にかかる新堀橋から隅田川を望む。梶尾の渡船場跡。明治三十九年から昭和三十六年まで渡し船がありました。つづいて、レンガ塀の家。船方神社にある、レンガ造りの「神輿庫」。最後は、あらかわ遊園地入口付近。