四月廿五日(火)壬午(舊三月廿九日  晴のち曇り

 

靜嘉堂文庫」と聞いて分かる方はごく稀ではないでせうか。ぼくも、つい最近まで知りませんでした。「文庫」といつても文庫本のことではありません。讀んで字の如く、「ふみくら」のことでありまして、蒐集された書物の書庫、つまり書籍のコレクションのことであります(註一)。 

日本全國には有名無名の「文庫」がたくさんありますが、その中で群を抜いてゐるのが、なんと言つても「天理圖書館」でせう。靜嘉堂文庫」も有名なのださうですが、行く切つ掛けがありませんでした。 

それが、併設されてゐる美術館のはうで、常設展は行つてゐないのですが、〈「挿絵本の楽しみ~響き合う文字と絵の世界~」展〉 が開催されてゐるの知つて、矢も楯もたまらずにけつけたと、かういふわけなのであります(註二)。

 

先日訪れたばかりの田園都市線二子玉川驛からは、バスに乘り、その名も靜嘉堂文庫下車。門を入ると、右手には鬱蒼とした草木の中に池がひつそりと、さらに谷戸川の流れをわたり、左右から生ひ茂つた森の中のゆるやかな坂をのぼりました。途中、兩手をひろげたほどの靑大將と出くはしてちよいとびつくり。 

坂を上りきると靑空が廣がり、そこに靜嘉堂文庫が、そして、左斜向かひに美術館が建つてをりました。文庫のはうは、よほど閲覧したい書籍があればいいですけれど、ただ見たいからといつてれるものではなささうです。 

しかし、美術館は料金を拂へばだれでも入館可。七〇〇圓をだして、それだけのものは見てきたつもりです。文庫から選び出された書籍ばかりですね。 

はじめて見る漢籍がたくさん。それでも、近頃興味がある奈良繪本や假名草子、それにぼくも持つてゐる、『和漢三才圖會』 や 『人倫訓蒙圖彙』 なども展示されてゐました。

 

ところが、最近、ぼくは、正直のところ、展示物を見て樂しむといふことがなくなつてきました。よほど歴史的に貴重な文物であれば一見の價値があると思ひますが、ガラス越しに見るだけで、手に取ることも、自分のものにできるわけでもないものに、興味がわかないのでありますね。つまらないのです。やはり、古本捜索がいい。斷然いい。古本捜索が、ぼくに生きる希望と力を與へてくれてゐることに間違ひはありません。 

 

註一・・「文庫」 この語は、書庫を意味する和語の「ふみくら」に対し、漢字のふみ(文)、くら(庫)の二字をあてた「文庫(ふみくら)」に由来する和製漢語である。書庫としての意味から転じ、後にはある邸宅や施設の中の書庫に収められた書籍のコレクションそのものおよびコレクションを収める施設を指す語として用いられるようになった。 

中世では金沢北条氏の金沢文庫、足利学校の足利文庫などが有名な例である。近世には徳川将軍家の紅葉山文庫が名高く、その他、各藩の大名や藩校のもとには優れた文庫が存在した。 

国立国会図書館の源流である書籍館、国立公文書館に統合された総理府の内閣文庫などは、近世の文庫から引き継がれた蔵書を基礎としている。近代以降では、有力者の私的なコレクションから出発した南葵文庫静嘉堂文庫東洋文庫などが文庫の名を冠しつつ、近代的な図書館として誕生した。

 

註二・・せたがや百景 No.73 「静嘉堂文庫」 静嘉堂文庫は、岩崎弥之助・小弥太父子二代によって集められた和漢の古典籍と古美術品とを集蔵し、大正13年建築の文庫と平成4年竣工の美術館とから成る。多摩川を望む丘陵の上に立ち、深い樹林に包まれて四季おりおりの景観にめぐまれている。 

(説明によれば、文庫を含めて美術館の収蔵品は、国宝7点、重要文化財83点を含む、およそ20万冊の古典籍と5,000点の東洋古美術品を収蔵しているそうです。) 

 

さて、ふたたび、二子玉川驛にもどり、永田町驛で地下鐡南北線に乘り換へ、次は、王子神谷驛に向かひました。まだ三時前です。行けさうです。 

《東京散歩》、その〈コース番號5〉を歩くつもりで降り立ちました。(つづく) 

 

今日の寫眞・・「文庫」に關する本と、「靜嘉堂文庫」にて。