四月廿一日(金)戊寅(舊三月廿五日 曇り

 

今日の讀書・・學習院さくらアカデミー、《源氏物語をよむ》 が明日にせまりました。七月八日までの土曜日午後、全十回です。指定されたテキストは、新編日本古典文學全集『源氏物語(1)』(小學館)です。 

ただ、明日受講すると、二回目は五月十三日なので、その間に準備といふか、だいぶ讀み進めることができますが、まづ、どのやうなお話があるのか聞いてみなければはじまりませんね。 

それで今日は、準備として、以下の參考書を讀みました。 

『日本文学の歴史3 宮廷サロンと才女』(角川書店)の中から、秋山虔著「『源氏物語』の世界」。それと、三谷邦明著『入門 源氏物語』(ちくま学芸文庫)から、その 「〈方法〉から冒頭場面を読む」の章。これは勉強になりました。

 

實は、『源氏物語』 の參考書は腐るほどあるのです。ただ、それらを讀んでしまふと、かへつて原文を讀むのには障害となるのではないかと思ひまして、極力讀まないできました。 

もつとも、ぼくは讀書として讀むだけで、研究するわけではありませんから、ただ面白く讀めればいいだけなんです。ですが、そのためには、ただ内容の紹介のやうな参考書では意味がないわけで、讀み方といふか、讀むコツ、そのための方法を敎へてもらいたいなと思つてゐます。その點、この 『入門 源氏物語』 は有益さうです。 

例へば、「読むとは、じぶんのなかにわきあがった疑問にたえず答えて行く行為です」、と言つてゐます。といふことは、讀み流すのではなく、絶えず疑問を意識化してそれに答へていくことが讀むといふ行為なのだといふことですね。 

さういへば、『落窪物語』 は疑問を待たせないやうな内容でした。それからそれへと話が展開し、それについていけばいいだけの話でした。ところが、『源氏物語』 は、「え、なぜさうなるの」、といふ疑問を絶えず抱かせる内容、といふか疑問を捜索しながら讀むことに醍醐味があるやうなんです。面白いといへば面白いですけれど、寢ころんで讀んでゐては疑問がわくでせうか?

 

ところで、『源氏物語』 については、古來多くの人々が感想や批評を述べてゐまして、その中でも、最も辛いのが、内村鑑三の批判でせう。

 

「成程源氏物語といふ本は美しい言葉を日本に傳へたものであるかも知れませぬ。併し源氏物語が日本人の士氣を鼓舞することの爲に何をしたか、何もしないばかりでなく我々を女々しき意氣地なしになした。あの樣な文學は我々の中から根こそぎに絶やしたい」(『後世への最大遺物』)。

 

ぼくも、實は、學生時代にこの論を讀んでさう思ひ、それで『源氏物語』なんか決して讀まないなんてずつと思つてゐたのであります。なにしろ、非戰論者の鑑三君の言ふことですからね、ただ敬服するしかありませんでしたけれど、今は違ひます。「女々し」く、「意氣地なし」で、「士氣を鼓舞」しないからいいんです。戰ひなんて避ければいいし、逃げても可です。非戰のために、「否!」 と言ひつづける根氣さへあればいいのです。 

 

今日の寫眞・・さくらアカデミーの講座案内と參考書類。