四月廿日(月)庚申(舊三月七日 晴のち曇り

 

さあ、體調が回復してきましたので、多少の咳はがまんして、出かけてきました。からだに、ぼくの場合は心臟にですが、限界を越える負荷をかけたはうが健康を維持できるといふことを又聞きしましたので、中仙道や尾瀬沼を歩いたあの苦しかつたことも決して無意味ではなかつたことに感謝しつつ、これからも出歩かうとあらためて思つたしだいなのであります。

 

めざすは、今日が最終日の 〈大貫水声書展〉 です。昨年無料講座に出たので案内状が届いたからです。そのときには、とても丁寧に、もちろん助手のおばさまがたですが、かな文字の書き方をお敎へくださり、習ふならここがいいかなと秘かに考へてゐたのでした。それで、會場は船堀驛前の“タワーホール船堀”でした。 

ぼくの今の關心は、影印(複製)の古典文學や古筆を讀むことも考へて、かな書道ですね。で、期待して出かけたのでありました。が、面白いことを發見しました。數ある展示の中には先生がなされた「古筆」の模寫が何點もありまして、それは一文字ひと文字がしつかりと讀みとれるのであります。ところが、先生が書かれた書といふか筆はほとんど分かりません! 説明の文字と照らしあはせても解讀不能なのであります。どういふことでせう。

 

ちなみに、今までも古筆やくづし字文をけつこう見て讀んできましたが、翻刻と照らせば必ず文字が確定できました。例へば、『落窪物語』 にしても、どうしても讀めない文字が出てきても、飜刻を見れば、思ひ出すやうに、さうだこの文字だつた、といふことになり、それはあくまでもぼくのリテラシーの程度を思ひ知らされるだけのことで、またそこから立ち上がつていけばいいわけであります。ところが先生のくづし字は讀めませんでした。分からないのです。 

好意的に、かうだらうなと落ちつきどころを自分のなかで納得しましたが、これでいいのだらうかと素朴に思ひました。書も藝術になると、理解を超えてしまふのでせうか。ぼくは、やはり讀めてこその文字だと思ふのでありますが。 

それで、なんだか疲れてしまひ、《東京散歩》〈コース番號5〉を歩こうと思つてゐたのを斷念して、そのまま都營地下鐡新宿線船堀驛から神保町へ直行してしまひました。 

 

今日の讀書・・『落窪物語 卷之四』 を讀み上げ、『落窪物語』 が終了いたしました。三十八日かかりましたが、古典文庫二册分のくづし字を讀み通せたことで、内容の正確な理解はともかく、まことに自信がつきました。 

いよいよ 『源氏物語』 にとりかかるべき時がきたやうです。學習院さくらアカデミーの講座、《源氏物語をよむ》 は、あくまでも、たまたま出會つたからでありまして、これも必然性があつたことと理解したいと思ひます。 

これで、『源氏物語』 の本文を讀みはじめることができます。 

 

今日の寫眞・・〈大貫水聲書展〉にて。會場内と良寛の歌の書。これなどまだまだ解讀できる文字です。神保町の古書店にて。四册一〇〇圓だと、かういふ扱ひがなされてゐて、心が痛みます! 

そして、二年前に求めた、『源氏物語』 のテキスト。藤原定家筆で、五十四册あります。はたして讀み通せるでせうか?