四月十六日(日)癸酉(舊三月廿日 晴

 

今日も回復せず。からだは少しも疲れてゐないのに、咳ばかりが出て、讀書もパソコンの前に座つてゐるのもしんどくて、ぼ~つと横になつていました。 

 

《東京散歩》〈コース番號4〉「江戸名勝探勝」 (つづき)

 

しばらく歩き、商店が途絶えたなと思つたころ、左に「王子稻荷神社」(註)が現れました。鳥居は道路の間際でしたが、本殿は石段をあがつた上のやうなので、見上げただけで通り過ぎました。 

つまり、この通りは、臺地の麓に沿つてのびてゐて、左手すなはち西側には高臺が廣がつてゐます。その途中に「王子稻荷神社」、さらに金輪寺(註)。そして、すぐとなりには、コース内容にあつた名勝、「名主の滝公園」がつづきます。 

ガイドブックにも中をめぐるやうに指示がありましたので入つてみました。ここは、「王子村の名主をつとめていた畑野孫八という人が、安政年間に、自分の家の庭内に作った滝なので、この名がついた」といふ名勝ださうであります。たしかに、高臺の崖の上からいくつもの瀧が落ち、それが一つの流れとなつて大きな池に注がれてゐてゐます。その流れに沿つて遊歩道がめぐらされ、鬱蒼とした木々のなかを散策することができる、やうになつてをりまして、春は櫻、初夏は若葉、秋には楓や紅葉など、四季折々の風情を樂しめるやうです。 

ただ、現在では、瀧から流れ落ちる水は地下水を汲みあげたもので、朝は十時から、午後は四時までしか流されてゐないといふことです。最奥の男瀧と橋からながめた女瀧がいい感じでした。でも、このやうな場所は、戀人同士の二人づれでくるべきところですね。はい。(つづく) 

 

註・・「王子稲荷神社」 東国三十三か国稲荷の総社。古くは岸稲荷(荒川の岸に位置する岸村にあつたため)と言われていたが、豊島氏が熊野権現・若一王子を勧請し、この地に王子権現を祀ったことから、「王子」という地名ができ、岸稲荷から王子稲荷に名を変えました。 

註・・「金輪寺」は、明治36年(1903年)まで、王子神社および王子稲荷神社の別当を務め、江戸時代には徳川将軍家の御膳所にもなった、地域を代表する寺院。 

 

今日の寫眞・・「王子稲荷神社」、「名主の滝公園」入口と庭内の池と男瀧。