四月十五日(土)壬申(舊三月十九日 曇り、一時小雨

 

まだ咳がおさまらず、昨夜も寢苦しかつたのですが、心臟のはうはいかにも順調で、一時のあの動悸や苦しさはなんだつたのだらうと思はれるくらいなのであります。 

それで、熱もないので、出かけることにしました。《東京散歩》です。早くも四回目になりますが、遠大な120コースもの東京散歩計畫のまだまだ初つぱなに過ぎません。 

と言つても、積み重ねてきた三回の散歩によると、一回がだいたいニ時間程度のものだと分かつてきましたので、午前中はまだ開催してゐる古本市を訪ねることにしました。 

神田の東京古書會館、「フリーダム展」といふことでしたが、収穫は皆無。こんなことは珍しいのですが、お後がひかへてゐるのでこだはらず、早めの晝食を例の成光さんでラーメンをいただいたあと、三田線と南北線を乘り繼いで王子驛に向かひました。

 

《東京散歩》 〈コース番號4〉 コース名と内容にはかうあります。「江戸名勝探勝 飛鳥山・名主の滝 王寺駅~東十条駅 江戸時代から櫻の名所と知られた飛鳥山。一七三七年、八代将軍吉宗の命で桜が植えられた。当時からの日帰りコースである、飛鳥山、王子稲荷、名主の滝公園を歩く。〔所要〕一・五時間」。 

スタート地は、〈コース番號3〉のゴールであつた、王子驛。ちやうど午後二時。亂雑な飲食店街を抜け出て、すでに櫻の花が舞ひ散つてしまつた音無親水公園を通り、途中から右手の山の上にある王子神社への石段をのぼりました。 

〈ガイドブック〉(『東京山手・下町散歩』昭文社)では、飛鳥山をひとめぐりしてから、王子神社に至るコースなのですが、その部分は訪ねたことがあるので省かせてもらひました(『歴史紀行十八 我が家の古文書發見! 飛鳥山「渋沢史料館」訪問』參照)。 

それで、王子神社ですが、もとは「王子權現社」と言ひました。『江戸名所圖繪』にもさう記されてをりますね。

 

さて、石段をのぼりきつたところ、ふと見上げると、イチョウの巨木がそびえてゐました。これはこれはとしばらく見惚れてしまひましたが、たしかに巨木ですね。惜しむらくは先端部分が缺落してゐるやんなんですが、よほど首を無理して見上げないとわかりません。いやあ、ご立派です。「目通り幹囲」は六メートルもあるやうです。 

境内はさらりと見回すていどにして、通り抜けやうとしたら、關神社といふ社が目についたので、近寄ると、そこに、「毛塚」が建つてゐました。説明によると、「『髪の祖神』といわれる蝉丸法師らを祀る神社。髪の毛にご利益あり!」とありまして、びつくりしてしまひました。 

 

註・・「王子神社の境内にある関(せき)神社には、百人一首などで知られる歌人・蝉丸法師、逆髪姫、古屋美女が祀られています。祭神の一人、蝉丸公は、逆毛に悩む姉のために侍女の古屋美女に命じて初めて「かもじ(かつら)」を考案したことから、「髪」の祖神といわれ、理髪業界から特に信仰を集めています。関神社には、理容師さんや美容師さんなどの理容業界の人をはじめ、近年では薄毛や頭髪に関する悩みを抱えた人も多く祈願に訪れています。」

 

ところで、この話、歸宅して妻に話したところ、それ謡(うたひ)の「逆髪」か「蝉丸」かの話でせう。といふのであります。こちらは素人、妻は謡を唯一の趣味としてゐた父親から聞いてゐたさうであります。まゐりました。 

正確には「蝉丸」でしたが、調べてみたら、その内容とともに、その謡の扱ひにまたまた驚かせられました。

 

「蝉丸の宮は、延喜帝(醍醐天皇:885930年)の第四皇子でしたが、生まれつき盲目でした。醍醐天皇は、この蝉丸を、逢坂山に捨て、出家させます。 

一方、天皇の第三子であり、蝉丸の姉である逆髪(さかがみ)は、生まれつき逆立った髪をもち、その苦悩から狂人となり、浮浪者となっていました。この悲運のふたりが、逢坂山という含みのある名前の辺地で廻り合い、しみじみとお互いの身の上を語り合い、別れ行くというストーリーです」。

 

謡としてもよく演じられ、一般人の趣味としても広く親しまれたが、戦火が忍び寄る昭和初期になると、『大原御幸』などとともに、「天皇の扱いが史実に反し、不敬に当たる」との声が菊池武夫率いる愛国団体「日本精神協会」から挙がり、上演を自粛する演者が現れ(内務省からの要請もあったと見られている)、1947年(昭和22年)まで演じられなかった。

 

 

ここまで調べてみると、單なる散歩ではなく、やはり歴史にれないではをれませんね。神社に歴史を語らせるのも、ちよいと皮肉な話かも知れませんが。

 

まあ、髪のことについてはぼくには關りがなささうなので先を急ぐことにしました。方向としては、眞北に向かひます。坂をくだり、右手に折れると正面にはJRのガードが迫り、その手前の路地を左にまがりました。このあたりは、ガイドブックの地圖を確認しながらでないと、間違へさうです。(つづく) 

 

東十条驛から京浜東北線に乘つたところで、妻に連絡し、京成上野驛で待ち合はせることにしました。まあ、一緒に夕食を食べようと思つたわけで、驛周邊はたいへんな人ごみでして、いつもの牛タンをいただいただけで歸宅しました。 

 

今日の寫眞・・王子神社の大イチョウと正面の鳥居。それと關神社に牛タン。

妻と以前にもいただいたことがありますが、他の店のは口にあはず、「牛タンはねぎしにかぎるね!」が我が家の合言葉になつてゐます。ベルリンぢやあ、牛タンも無理なのかなあ?