十一月廿五日(金)辛亥(舊十月廿六日 晴

 

〈東京近郊紅葉めぐり(一)〉 

 

今日は、待ちに待つた、《史索會》のみなさんとの、「東京近郊紅葉めぐり」でした。東横線の自由が丘驛正面口に一〇時半の集合でした。ぼくは、ネットの「乘り換へ案内」で、明治神宮前驛で千代田線から都副都心線に乗り換へることができるのを知り、さつそく乘りましたら、そのまま自由が丘驛まで直行でした。 

ところが、自由が丘驛正面口に到着したら、休まれたお二人を除く四人のみなさんはすでに集まつてをられました。昨日の降雪の影響もあつたのでせう、電車がちよいと遅れてしまつたので、お晝のお辨當を急いで買ひ求め、すぐに出發となつたのであります。 

船頭、ではなく先導はやはり大塚さんにお願ひしまして、まづは、九品佛淨眞寺を散策しました。聞いてはゐましたが、ぼくははじめて訪ねました。境内は廣く、天然記念物の銀杏やら榧(かや)などの大木が何本もそびえ、たいへん廣大な土地でして、なんと三萬六千平米あるさうです。まあ、それなりに紅葉もきれいでした。 

九品佛といふのは、九體の阿彌陀如來像が安置してあるからださうです。でも、それででせうか、お堂がいくつもあり、どれがなんだか、ぼくにはよく分かりませんでした(寫眞一、二、三)。 

 

*補注一・・「九品仏の由来」 広い境内の本堂の対面に3つの阿弥陀堂があり、それぞれに3体合計9体のそれぞれ印相の異なった阿弥陀如来像が安置されている。この9体はそれぞれ、上品上生(じょうぼんじょうしょう)、上品中生、上品下生、中品上生、中品中生、中品下生、下品上生、下品中生、下品下生という、浄土教における極楽往生の9つの階層を表しており、これらをあわせて九品(あるいは九品往生)という。この九品の仏から、浄真寺は通称「九品仏」と呼ばれている。

 

つづいて、等々力通りを大井町線に行して等々力驛まで歩きました。九品寺驛から二驛分でした。踏切を渡り、成城石井の欅の大木の角を右折すると、そこが等々力渓谷の入口でした。たしかに、鬱蒼とした木々におほはれた溪谷でしたが、コンクリートで塗り固められたやうな川で、しかも流れる水が汚れてゐて、だいぶ興ざめでした(寫眞四)。  

 

*補注二・・「等々力渓谷」 都内23区内で唯一の渓谷。ここが都内かと思うほどに静寂で川のせせらぎだけが聞こえ、自然に囲まれた散策路が続く。お勧めは等々力不動尊周辺で、ここはモミジやイチョウが鮮やかに見られ、空気もヒンヤリして下界の音が遮断され静けさに守られたように紅葉の木々が並ぶ。まさに都会の秘境と言える。そのまま下れば1km足らずで多摩川堤へ出る。今は水量も多くないが、昔は不動滝が轟くほどに水量が豊かで、これが地名の語源という。 

 

お晝は、不動の瀧(寫眞五)の眞上にある等々力不動尊の境内でいただきました。ここも紅葉がきれいで、七五三を祝ふ家族が二組お詣りして、記念寫眞を撮つてゐました。でも、おべべを着た子どもより、お母さんが美しいのには目を奪はれてしまひました。 

この多摩川の地一帶には古墳が多く見られるやうです。ぼくたちは、環八通りを等々力不動前交差點から上野毛驛まで歩きましたが、その途中にある、野毛大塚古墳に登つてみました。けつこうな高さで、ながめもよかつたです(寫眞六)。 

 

今日の讀書・・歸宅すると、圖書館から、だいぶまえに注文した、志水辰夫の『疾れ、新臧』(徳間書店)が届いてゐました。つい開いたら面白くなり、疲れてゐたであらうに、夜更かしして讀み進んでしまひました。 

 

今日の寫眞・・「東京近郊紅葉めぐり」。