十一月廿三日(水)己酉(舊十月廿四日 曇り

 

今日の讀書・・今日も机に向かつて、といふより子猫を抱きながら、『日本紀略』 を繼讀。昨日とほぼ同じ年月を讀み進みました。康保四年(九六七年)五月廿五日に村上天皇が崩御されてから、冷泉天皇の即位にはじまり、安和二年(九六九年)八月に譲位するまでの、いはば天皇一代記を讀んだわけです。

 

ところが、讀んでゐて、冷泉天皇の姿がちつとも見えてきません。改元があつたり、藤原氏の横暴の極みである安和の變があつたりの、歴史をする時代であつたにもかかはらず、關白藤原實頼のもとで、その退位まで、影の薄い在位二年間を過ごしたのでありました。

 

『栄花物語』によりますと、冷泉天皇は、もういつ退位しても仕方ないやうな状態で過ごされてゐたやうです。 

「帝御(みかど)物怪(もののけ)いとおどろおどろしう在(おは)しませば、さるべき殿上人殿ばら、たゆまず夜晝侍ひ給ふ。いと氣恐しく在しますに、『今日おりさせ給ふ、明日おりさせ給ふ』とのみ、聞きにくく申し思へる・・・」。 

「物怪いとおどろおどろしう在しませば」、とあるのは、冷泉天皇は、「幼少のころより異常な行動が多く、その狂気は(藤原)元方の崇りといわれ」てゐたやうなのです。 

ところが、弟の圓融天皇に位を譲つてから、冷泉上皇としておよそ四十年、一〇一一年に六十二歳で没するまで過ごされたといふのですから、ぼくは、陽成天皇を思つて、ちよいとからだが震えました。 

 

また、今日は、《史策會》のみなさんに、「東京近郊紅葉めぐり 最後のご確認!」をさしあげました。明後日はお天氣のやうですので、紅葉の下で美味しいお辨當をいただきたいと思ひます。 

 

今日の寫眞・・今日のココ。やはりなまめかしい!