十一月十日(木)丙申(舊十月十一日 曇りのち曇天

 

今日の讀書・・『日本紀略』 は「六國史」と同樣、いはば「大本營發表」みたいなものですから、頭から飲み込むのは不味いのですが、それでも「こんなこと公にしてもいいのかいな?」 と思はれる記事を多く見かけることができます。昨日は、下世話な話の記録が面白いと書いてしまひましたが、その例を書き出してみます。

 

その前に、引用は、ネットのデータベースを利用しました。プリントアウト用のデータベースもありますが、同じパソコン内でコピーしやすいサイトとでもいふのでせうか、とても便利なものがあることを、今日知りました。一字一字書き寫さなくてもすみますです。はい。 

引用したのは、天徳元年(九五七年)から同四年(九六〇年)までの部分です。 

 

「四月十日辛酉 夜、強盜打破右獄、奪取囚人、九人之中一人、於獄門前打殺。 

同月十四日乙丑 去十日逃脱右嶽囚人八人、於攝津國追捕、籠本禁了、此中二人射殺了。」

 

強盗が、牢獄を打ち破り、囚人九人を奪つて助け出したのち、その一人を獄門前で殺したといふのです。といふことは、その一人を殺すためにわざわざ九人を脱獄させたみたいです。それとも、一人だけ逃げおくれて殺されたのでせうか。いや、強盗に殺されたのだとぼくは思ひますが・・・。 

しかし、四日後には、他の八人は捕まり、その際二人は射殺されてしまひました。反抗したからでせうか。でも、考へたら可愛さうな二人でした。これなんか、小説にできさうですね。でも牢獄を打ち破つた強盗はどうなつたのでせうか? つづいて・・。 

 

「閨七月九日戊午 有一狂女、於待賢門前取死人頭食之。此後、徃徃臥諸門之病者乍生被食、世以為女鬼。」

 

一人の狂女有り。それが、待賢門前で死人の頭を取つて食つてゐたといふのです。その狂女とはいつたいどんな女だつたのでせうか。しかも、しばしば、あちこちの門の下に横たはる病者を、生きたまま食つてゐたので、「鬼女」と呼ばれたといふのです。飢饉で飢えてゐたやうでもありません。 

芥川龍之介の 『羅生門』 の世界を彷彿とさせますが、より恐いと思ひます。「事實は小説よりも奇なり」ですね。 

 

*補注・・日本紀略(にほんきりゃく)は、平安時代に編纂された歴史書で、「六国史」の抜粋と、「六国史」以後、後一条天皇までの歴史を記す。範囲は神代から長元9年(1036年)まで。編者 不詳。漢文、編年体、全34巻。 

 

今日の寫眞・・妻が圖書館に行くといふので、ついでに賴んだら、待たせられることなく來てしまつた、黒川さんの二册。