十一月六日(日)壬辰(舊十月七日 晴、暖か

 

今日の讀書・・近ごろは早寢早起きが定着し、おかげで今朝は余裕を持つて、ラヂオのNHK第2放送で六時からはじまる 《古典講讀》「むかし語りへのいざない~宇治拾遺物語~」 を聞くことができました。朗讀は加賀美幸子アナウンサー、解説は伊東玉美さんです。 

今朝はその第三十一回目。第一一五話から、第一一九話まででしたが、特に、第一一九話の「東人、生贄を止むる事」が印象的でした。東國の荒武者が、山の神の猿と蛇への「生贄」とされかかつた、「かたち姿をかしげなり、愛敬めでたし」(顔かたちや姿も美しい樣子で、魅力のある)女を救ひ、且つ、その慣習を止めた話でしたが、これを讀むと、鎌倉時代初期のこの時代になると、神佛や化け物やそれに伴ふ惡い慣習に立ち向かふ人々が出てきたことが分かりました。東國人は偉い! 

 

さて、『日本紀略』 の缺けた部分、天暦四年(九五〇年)から天暦十年(九五六年)のその途中までですが、今日は、『史料綜覽』 を開いて讀みました。斷片的な日記より、歴史を通覽するには、『史料綜覽』 はとても重寶です。 

ついでに、『大日本史料 第一編之九』 を繙きながら讀んだのですが、三書を參照しながら見ていくと、より深く事柄が掘り下げることができました。

 

例へば、天暦三年二月七日に、「延暦寺僧某殺害セラル」なんて、『史料綜覽』 だけにしか見られませんでしたし、同年四月十二日に、「從五位下藤原兼家ノ昇殿ヲ聽ス」と、同月廿七日、「朱雀天皇、(平將門討伐ノ報賽ニ依リ、)興福寺ニ於テ、佛經供養ヲ行ハセラル」の括弧の部分は、『大日本史料』 だけにしか記されてをりません。 

「藤原兼家ノ昇殿」は、祖父忠平の死期が數ヶ月後に迫つたための處置だつたのでせうか、父師輔に次いで權力の中樞に進むその端緒と言へなくもありません。しかし、忙しくなればなるほど、『蜻蛉日記』 によれば、妻の煩惱は增すばかりとなるのでありまする。

 

さらに、三書ともに、同年六月十日、「穢に依リテ、御體御卜奏ヲ延引ス」、十一日には、「穢ニ依リテ、月次祭、神今食ヲ延引ス」とあるのですが、ただ、『大日本史料』 だけが、『九條殿記』 といふ書物から引用がなされ、そこには、かう記されてあります。 

「去月廿七日、尾張權介良岑朝臣是竝妻死穢、參交内裏」 

『日本紀略』 と 『史料綜覽』 には、どのやうな「穢」で諸行事が延引されたのか省かれてゐましたが、『九條殿記』 によつて、是竝さんの奥さんが死んだ、その穢がついたまま内裏に入つてしまつたからだといふことが判明いたしました。はい。

 

このやうに、穢れとか怪異とか物怪とかに脅かされてゐた人々も、鎌倉時代にまで時代が下ると、次第に開明的になり、魑魅魍魎から解放されていくのでありますね。ですが、今日にいたつても、さうでないお方たちもまたたくさんをられ、神佛やくだらない慣習や權力に從順に飼ひ慣らされて、その補完勢力になつてゐるのを見るのは、とても辛いことであります。 

 

昨日讀みはじめた黒川さんの、『螻蛄』 これも面白くて、でも、歴史書の合間に讀む程度に止めてゐます。 

 

今日の寫眞・・日向ぼこしてゐるモモタとココ。たまにはネコパンチを飛ばしてぢやれあつてをります。