十一月四日(金)庚寅(舊十月五日 晴

 

今日の讀書・・昨日、養源寺で、たまたま手に取つた、上月乙彦著『芭蕉と切支丹』(明石豆本らんぷの会)ですが、歸宅して讀み出したら、面白いといふより、かういふアプローチもあるのかと、大變感心しながら、たうとう讀み終へてしまひました。 

〈あとがき〉で、上月さん、次のやうに語つてゐます。

 

「芭蕉と切支丹の出会いは、切支丹禁制の時代はいうまでもないことだが、今でもそれはタブーのように回避される。芭蕉研究家でそれに触れようとする人は一人もいない。禁制の時代に生きた芭蕉は、切支丹については、オイスターのように沈黙していた。芭蕉研究家がそのことに触れようとしないのは理由のないことではない。 

しかし私は芭蕉の沈黙のなかに、かえって切支丹への芭蕉の関心を読むことができるように思う。芭蕉の文学の深さは、その背景にあるそうして沈黙の深さから来るように思える。 

私はここでわずかに、芭蕉における象徴的な四つ五つの場面を取り上げただけである。」 

問題は、その象徴的な場面ですが、ぼくは一應理解できました。

 

その第一が、『奥の細道』 の尿前の關のくだりでの有名な句、「蚤虱馬の尿する枕もと」の場面が、「ゼス・キリシト」の誕生場面と重なつて見えるといふのです。「私には、芭蕉とサンタ丸ヤとゼス・キリシトが一つの画面のなかに見えてくるのであった。」と言つてゐます。

 

次は、「あら海や佐渡の橫たふあまの川」の句について、佐渡は「キリシタン殉教の島」であつたことを、パジェスの 『日本切支丹宗門史』 に言及しつつ述べ、「芭蕉は天の川の句をよんで、自分でもただならぬものを感じていたが、その時、芭蕉は荒海の彼方からきこえてくるキリシタンの祈りの声を聞きしむ思いであったのではなかろうか。」と語つてゐます。

 

さらに、パジェスの 『日本切支丹宗門史』 をこれまた引き合ひにだしながら、「加賀・能登・越中」は、高山右近によつて、「キリシタンの地層の厚」き地となつてゐたと言ひ、それ故にこそ、芭蕉の、「塚も動け我が泣く声は秋の風」、「あかあかと日はつれなくも秋の風」、「むざんやな甲の下のきりぎりす」等の句が生まれたと、上月さんはおつしやるのであります。 

「真実のことばとは何なのか。かくされた情念というのは何なのか。芭蕉は黙して語らない。ただ蕭条と秋風がふくばかり。ただ悲哀の声がただようばかり。しかしなぜともなく、私はそこにキリシタンのオラシヨの声をきく思いがする。芭蕉の沈黙の深さがそのことをものがたっているように思われる。」

 

それと、第四に、長嘯子(ちょうしょうし)といふ人物との關係です。ぼくは初耳でしたが、上月さんが言ふのには、「長嘯子は芭蕉および芭蕉をめぐる人々の思慕の対象となつていた」といふ人なんですね。そして、芭蕉には、「長嘯の墓もめぐるか鉢たたき」といふ句もあるらしいのです。 

この木下長嘯子さんが、高山右近によつて誘はれたキリシタンでありまして、『日本切支丹宗門史』 にも、「洗礼を受けた者の中には、太閤様の未亡人政所様の甥でペトロ(木下勝俊)という名を授けられ、爾来、人の手本となる生活をしていた者」であつたことが記されてゐるんです。 

さう、木下長嘯子は、豊臣秀吉の妻の甥だつたわけで、禁教が強化された三十二歳のときに「剃髪して、八十一歳で他界するまで、五十年間、小塩山に柴折りくべて、わびに住することができたのは、心の深層で何かが彼を支えていたからであろう。」と言つてゐます。

 

もう一つあげられてゐますが省略し、そのかはり、國寶で東京國立博物館藏の、『納涼圖屏風』について書いておきませう。これは、久隅守景の有名な繪です。ぼくも大好きで、繪葉書のこの繪を壁に張つてあります。が、それが、實は、この繪は、木下長嘯子の和歌 「夕顔のさける軒端の下涼み男はててれ(襦袢、褌、或いは粗末な服)女はふたの物(腰巻)」(右天下至楽也。有誰如之) に取材した作といはれてゐるのです。はじめて知りました。 

以上、古本市で出會つた小さな本からたくさんのことを學びました。 

 

*補注一・・「木下長嘯子(きのしたちょうしょうし)」(15691649) 安土桃山時代の武将、江戸初期の歌人。名は勝俊。豊臣秀吉の正室北政所の甥。小浜城主、左近衛権少将。関ヶ原の戦いのあと、徳川氏に封を奪われ、32歳で京都東山に隠棲。 

細川幽斎に和歌を学び、近世和歌革新の先駆者となった。歌文集「挙白集」「若狭少将勝俊朝臣集」など 

*補注二・・「納涼図屏風」 国宝、東京国立博物館蔵 二曲一隻 紙本墨画淡彩。 

久隅守景の代表作として第一に挙げられる作品。国宝指定は昭和27年(1952年)1122日。指定名は「紙本淡彩納涼図」だが、「夕顔棚納涼図(屏風)」と呼ばれることもある。余白が多いあっさりとした画風や、画面がやや汚れている事などから一見地味な印象をうけ、「最も国宝らしく無い国宝」と云われることもあるが、親子3人がのんびりと涼む姿を深い愛情をもって詩趣豊かに表現した名作である。 

 

今日の寫眞・・「しのばずくんの本の縁日 2016」のポスターと、上月乙彦著『芭蕉と切支丹』(明石豆本らんぷの会)。それと、木下長嘯子像と久隅守景納涼圖屏風」。