二月廿五日(火)丁卯(旧正月廿六日) 晴れ、少し暖かになつた

読み始めました。北方謙三の『杖下に死す』です。期待に違はず、引き込まれました。ところが、ふと思ひ出したんです。昨年の十月、古本市で見つけた本のことです。門真市史資料集(第一号)『野口家文書 大塩事件関係史料』といふものです。〈はじめに〉を見ると、「本書は専門家向けの書としてよりも、併せて古文書学習会初級コース用のテキストとしての利用をも考え影印とした。」とあり、たしかに、本を開いた右ページには影印文書が、左ページには翻刻が印刷され、古文書の勉強にはもつてこいだと思つて購入したのでした。

しかも、内容は、目次を見れば一目瞭然。「大坂元御組与力大塩平八郎市中乱妨當村郡次九右衛門掛り一件手續書留」といふものです。大塩平八郎の乱に関連した古文書に間違ひありません。先見の明がありましたね。でもまだ積読でした、が、いよいよ活躍の舞台を得たわけで、ぼくの努力如何といふことになります。まづは、北方君を読んでからにしようと思ひます。

ところがところがです。もう一冊忘れてゐました。大塩平八郎自身の著作『洗心洞箚記(せんしんどうさつき)』(岩波文庫)です。これも書庫から探し出してきたら冷えきつてゐました。でも内容は熱々ですね(?)。ぼくがたまに熱くなるのとはケタが違ひます。しかしこれは、漢文なんです。もちろん訓読文も並記されてゐますが、とにかく内容が難しい。ちんぷんかんぷんなんです。それで、譯注者の序説、その〈生涯〉と〈學風と學説〉だけでもと思ひ読みました。それでもむつかしい。

なぜ難しいかといふと、著者が何を問題にして、何を語りたいのか皆目見当がつかないからなんです。つまり、大塩平八郎が置かれた現実がわからないからだといふことです。さうすると、やはり、『杖下に死す』を読んだあとなら少しはわかつてくるかも知れません。少し辛抱したいと思ひます。それに、また今気がつきましたけれど、森鴎外の『大鹽塩平八郎』もありました。その時代の歴史とともに、この際だからまとめて学んでみたいと思ひます。

 

朝、歯医者に行き、ひと月ぶりにクリーニングをしていただきました。歯科衛生士の方がやつてくださるんですが、今日の方は、運悪く、乱暴といふか、なにしろやることが痛いんです。顔をそむけたくなりますが、そこはぢつとがまん。でも、安心ですし、きれいになるのは気持ちがいいです。

 

今日の写真:昨夜、机の下に潜りこんできたラム。遠くを見つめる顔。スズメの日向ぼこ。大塩平八郎の著作と関係史料。