二月十日(月)壬(旧正月十一日) 晴れ 

今日も晴れ。道路の雪はわきにかき寄せられ、交通には支障がないやうであります。幸ひ、日中は日差しが強く、凍りついてゐるところもなささうであります。でも、駐車場など、ところどころ、出入りもないのか、一面の雪に被はれたまま。このところ、元気復活のラムお嬢様ですが、今日も、わざわざ雪のなかを歩いては、悦に入つてゐるやうなのであります。

 でも、帰宅して、横になつた姿を見てゐると、いたはしい気持ちになつてしまひます。とくに、遠くを見つめてゐるやうな目を見ると悲しくなるほどです。ただただいい最期をみとつてあげられればなと思ふこの頃なのであります。

 

ところで、今日は月曜日。弓道のお稽古の日だつたんですがお休みしました。数日前には、宮司の坂本さんからもお誘ひの連絡があつたんですが、大事をとりました。いへ、積雪で自動車では行けないからではなく、明後日が定例診察日で、慈恵大学病院まで行かなくてはならないからなんです。

さうです。あの試練ともいへるエコー検査や甘い化粧の匂ひ、それに「腿のふとき」誘惑に耐えるためにどれだけ強い意志と緊張をわが身に強ひてきたか、それらが心臓に与へた影響が数値で示される、いはば判決がくだる日なんです。もちろん、その間、二十四時間体に装着した“ホルター心電図”と、先日の“薬剤負荷心筋シンチグラフィ検査”の結果も加味されて、大判決が言ひ渡されやうとしてゐるのであります。

ことによつたら、また、アブレイション手術を受けることになるかも知れないのです。あれは、二〇一〇年五月末に東京に帰つてくる、その四月でしたが、四、五日入院をして行つた手術でした。股のねもとから、心臓に直にカテーテルを挿入し、心臓内の無駄で余計な鼓動の働きをしてゐる筋肉を焼いて火傷(やけど)を起こさせ、不整脈を起こしてゐる原因を除去するものでした。そのおかげで、それまで激しかつた不整脈がおさまり、大変楽になりました。それが、再発したかも知れないのです。

さういへば、あの、薄暗い部屋で、エコー検査を受けてゐた時でした。ふともらした検査技師の言葉で、ぼくは、自分の心臓で何が起こつてゐるのかを理解したのでした。つまり、火傷は時がたてば治るものなのです。それと同時に、無駄で余計な鼓動の働きをしてゐた筋肉が生きかへり、再び正常な鼓動に不必要な鼓動を付加して、不整脈を起こしてしまつてゐると、かういふわけなんですね。

 わかつたからどうといふことはないんですが、ぼくが犯した罪が原因ではなかつたことだけでも救ひです。よかつた。でも、ほんとうにさうなのかは、診察を受けてみなければわかりません。さういふわけで、この二、三日はおとなしくしてゐようと思つたしだいなのであります。はい。

 

昨夜は、『江戸かな古文書入門』を読み上げ、「中仙道を歩く十二」執筆も順調です。しかしまた、《伊豆の山暮し》も、そろそろ再開しなくてはなりません。

 

今日の写真:散歩中、意気揚々のラムと、帰宅後ぐつたりとして、遠くを見てゐる姿。それと、福喜湯の全景。

 

 

当時の「日記」を開いてみたら、何だか胸にこみ上げてくるものがありました。

 

この二、三日、かうして古い「日記」を読んで思つたことは、人間は単純に成長して行くものではないんだなといふことです。たとへば、入院点滴中なのに、神学書なんかも読んでゐますし、時々ですが、マタイ傳福音書のギリシャ語本文を、写経のやうに、ノートに書き写してゐるんです。自分で言のも烏滸がましいのですが、いいことも書いてゐるんです。

それを、今ぢや、ばかなことを書いてと、顔が赤くなります。四十年前の自分にすみませんとあやまりたいです。つまり、人間、ほんとうに必要な時にしか、必要な解答が得られないんぢやあないでせうか。当時は、やはり切実な思ひで明日のことを考へてゐたんでせう。老い先短くなつたのに、この自堕落、

毎日少しづつですけど、やはり、心の支へとしたかつたのか、自分がどこに立つてゐるのか、揺るがぬ基礎を確かめておきたかつたんでせう。でも、こんなことしていたことすら忘れてゐました。

 

ぼくは、学校では聖書を教へてゐましたが、卒業後すぐに就職する生徒たちに、恋愛や結婚、家庭生活、そして、人としての生き方をまがりなりにも語つてゐましたが、ぼく自身の信仰が問はれるとするならば、それは、必然性ある生活・・