二月三日(月)乙巳(旧正月四日・節分) 終日曇り 

今日は、かかりつけの東京慈恵大学病院で、心臓の検査を受けました。“薬剤負荷心筋シンチグラフィ検査”といふ、長つたらしい名前の検査です。ぼくは、この病気を抱へて長いんですが、まあ威張れたことではありませんが、はじめて受ける検査なんです。その内容をうかがつて、少しびくついてゐたんですが、やつてしまへばたいしたことではありませんでした。

検査は、九時三十分から開始されます。そのために、二時間前までに軽く朝食をすませておくやうに、水以外、お茶やコーヒーなどは一切飲まないやうに、といはれたので、いつもより早く起き、食事もすませました。たいへんだつたのは、ちやうど通勤時間と重なつたことです。千代田線綾瀬駅から乗り、大手町駅で三田線に乗り換へます。そこから御成門駅まで、わづかな距離ですが、特に混みましたね。ラッシュアワーです。幸ひ、ぼくは、今まで、混みあふ通勤電車に乗らなければならない仕事にはついたことがなかつたので、いいんだかわるいんだか、今日みたいなときは、辛いものがあります。

 検査は、いつもの外来病棟ではなく、中央棟と呼ばれる二一階建ての建物の五階の検査室で行はれました。考へたら、同じこの病棟の一九階に、以前父が入院したことがあつたのを思ひ出しました。夜景の東京タワーがきれいでした。

さて、「核医学検査室」といふ、いかめしい検査室で、まづ、検査の前に、上半身裸になり、浴衣のやうな、ガウンのやうな上着を羽織り、検査室のベッドの上に仰向けに寝ました。その浴衣のやうなガウンの前をはだけ、胸に電極を取り付けてくれたのは、若い看護婦さんでした。さらに、左手の、間接ではなく、腕時計のバンドのすぐ上あたりに翼状針を刺しました。腕を動かしても支障のないところです。誰が刺すかといふと、これが、不慣れな若い医師なんです。単なる皮下注射と違つて、点滴注射は医師がやることになつてゐるらしいのです。さういへば、昔、静岡県立中央病院に入院してゐた時に、下手な先生の指先を見てゐたベテランの看護婦さんと目があつて、たがひに目配せしたことがありました。さうだ、あの、峰子看護婦さん、どうしてるだらうか? 半年間お世話になつたんです。

 それはさうと、今日は、さすがに一度で針がうまく刺さり、早速薬剤が注入されました。心臓に負荷をかける薬剤です。が、案じてゐたやうな違和感も変調もなく、しばらく休んだあとで撮影です。三〇分かけて微に入り細をうがつた撮影でした。そして次に、こんどは負荷のかからない造影剤を注入しての、同様の撮影でした。昼食の間もなく、二時半まで、自分の体のことですから、どうにかがんばりました。問題は、定例診察での「判決」です。

 帰路、病院ついでに、順天堂病院に齋藤さんを見舞ひにうかがひました。ところが、ほんのわづかの差で、今日退院されたとのことでした。よかつたよかつたです。

 それでは、と、今日は、丸の内線で、御茶ノ水駅から本郷三丁目駅まで乗り、大学堂書店をお訪ねしました。「中仙道を歩く」第一回めの際、ちやうど昼食休憩で立ち寄り、笹沢佐保の『木枯し紋次郎 中山道を往く』を購入したお店です。そのおばちやん、ぼくの顔を見るや否や、「やあ、松坂屋の屋上から、地下三階まで落ちた感じですよ!」といふのです。よく聞くと、学生はもちろん先生も顔を出さないで、売上が激減だといふことらしいのです。学生と先生とは、東京大学の学生と先生のことです。まつたく本を読まないんですかね、と憤懣やるかたない様子でした。けれど、以前来た時にも同じやうなことを言つてゐなかつたかなと思ひました。申し訳ないので、古典文庫(影印本)の『武家義理物語』と『浮世栄花一代男』(二冊とも、西鶴本複製)を売つていただいて、帰路につきました。

今日の写真:今日の検査室。父の入院と東京タワー。遥か昔(一九七七年四月二日)、静岡中央病院の服部医師と看護婦さんたちをお迎へして、清水市は駒越の海岸にて。