二月十六日(日)戊午(旧正月十七日) 快晴、強風吹き荒れる      

今日二月十六日は、澄子おばさんが亡くなつてから丸二年たつた、三周忌でした。母と妻がお寺に行き、お経をあげていただき、お花を供へてきました。

澄子おばさんは、父の妹三人のうちのまんなかの妹でした。幼い時に階段を踏み外して片足の自由を失ひ、その後結婚せずにずつと我が家で暮してゐました。

ですから、ぼくの記憶の一番奥に居るおばさんは、いつも木の枠に張つた布に糸をさしてゐる姿でした。アメリカ軍人のかぶる帽子の縁に輝くあのきらびやかな刺などです。

それと、いつもまはりに犬か猫がゐたことです。弟にきくと、彼も犬猫が好きで、よく覚えてゐるといふのですけれど、薄情にも、ぼくはまつたく記憶がないのです。当時の写真を見ても思ひ出しません。あまりに当たり前な生活だつたので、見てゐて何も見てゐなかつたんでせうか。ラムと出会つたことが、ですから、ぼくのお犬さま経験のはじまりでありました(そして、最後だと思ひます)。

また、おばさんは、映画が好きで、よく連れて行つてくれました。堀切菖蒲園駅のまはりだけでも、そのころ、“文映”、“オリエンタル”、“日本館”に“世界館”、立石駅に足をのばせばもつと観ることができました。映画の全盛期でしたね。西部劇に時代劇。三本立てを見て外に出ると真つ暗だつたのを鮮明に思ひ出します。

けれども、ぼくは、おばさんにとつていい甥ではありませんでした。学生時代に家を出てから、時たま家に帰つてきても、ぼくのはうから会ひに行くことはほとんどありませんでした。ゆつくり話をするといふこともありませんでした。すまないと言つただけでは、とりかへしのつかないことです。でも、どうしてだつたのか、うまく説明することができません。

今日の写真は、思ひ出の澄子おばさん特集にいたしました。