六月八日(金)辛未(舊四月廿五日) 晴のちくもり
久しぶりに晝から出かけ、神田の古書會館で開催の「城北古書展」に行つてまゐりました。しかし、収穫は古びた和本一册のみ。『道二翁道話』 の端本で、「六篇上下」と題簽にはありますけれど、中を開くと、「四篇卷上」と、「六篇卷之上」と、「六篇卷之中」でした。きつとまだ賣れさうな部分だけを切り離して綴じ直したのでせう。三〇〇圓でしかなかつたし、まあ、『道二翁道話』 は岩波文庫で全篇讀めるのですが(註)、そこはくづし字の魅力に浸りながら讀みたいですね。部分的にでも。
それと、古書店街を歩いてゐたら、小宮山書店の隣りの田村書店で、いつもいくつかの段ボールに全品一〇〇圓の安賣りをしてゐるのですが、そこで、C・G・ユンクの 『人生の午後三時─無意識の心理学』(新潮社 一九五六年) といふ本に出會ひました。譯者は高橋義孝さんです。歸りの電車の中で、ユンクの〈序言〉と、譯者の〈まえがき〉を讀んで、少しばかし唸つてしまひました。
「人類の大問題の数々はこれまでただの一度といえども一般的な法則によって解決されたことはなかった。それはつねにただ個々人の態度の更新によつてのみ解決されたのである」。
これは、ユンクの言葉ですが、ぼくはそうだなあと思ひました。例へば、今ぼくが抱えてゐる問題は、それはぼくのなかで解決していくしかないことを嚴しく敎へられた感じです。つまり、病氣の場合、それは醫者や藥は助けてくれるでせうが、解決はしてくれません。この場合、解決とは、自分の人生と病氣との折り合ひをつけることです。だから、「ただ個々人の態度の更新によつてのみ解決され」るしかないのでありますね。そこを、なんだかんだ言つて他人に期待したり、同情をかつたりするのは筋ぢやあないそんなことで解決したためしはないのだと、ユンク先生、實に嚴しいですね。つまり、自分が個人として確立しないと、自分がかかへてゐる大問題は決して解決しないのであります。はい。
それと、高橋義孝先生も、〈まえがき〉の冒頭でいいことをおつしやつてゐます。
「この訳書は、特に三十代の終りからのちの、いわゆる中年期、老年期にある人々が読んでためになる書物だろうと思う。つまり、「老は漸く身に迫って来」て、「前途に希望の光が薄ら」ぎ始める人々にこそ、意義深い書物であろうかと訳者は考える」
高橋義孝先生はドイツ文學者で、名随筆家でもありますが、「この書はそこらの小説を読むように簡単には読めない」なんておどかしてゐます。
ユンクは、ユングとも表記されますが、ぼくがユングを知つたのは、河合隼雄さんの 『ユング心理学入門』 によつてでした。その出版が、一九六七年ですから、ぼくが大學に入つた次の年です。僕自身は一九六九年十一月に讀んでゐます。
ついでに、そのころの 『讀書記録』 を見たら、まあ、今では考へられない本をたくさん讀んでゐます(註三)。
註一・・『道二翁道話(どうにおうどうわ)』 江戸後期の石門心学(せきもんしんがく)者中沢道二の道話を、八宮斎(はちのみやいつき)などの門下生が筆録編集した書。6篇15巻。1795年(寛政7)~1824年(文政7)刊。のちに『道二翁道話続篇』が1843年(天保14)~47年(弘化4)に刊行された。彼の道話は「神道儒道仏道の、生きてぴちぴちするのを、手づかまえにして話す」というように、人間の「本心」の究明のために、儒書・仏書はもちろん、広く和歌や文芸作品なども引用し、加えて庶民の多様な日常生活の体験を素材にする。道二の社会的布教活動とその平易軽妙な語り口は、「道話」という心学の教化方法を定着させ、四民教化において心学といえば道話を連想させることとなった。
註二・・高橋義孝(たかはしよしたか) [生]1913.3.27. 東京 [没]1995.7.21. 東京
ドイツ文学者、評論家。1935年東京大学独文科卒業後ドイツに留学 (1937~38)。内田百閒に師事し、戦後、東京高校、九州大学、慶応義塾大学、名古屋大学、桐朋大学教授を歴任。昭和30年読売文学賞を得た「森鷗外」で評論家としての地位を確立。心理学を援用した「文学研究の諸問題」や「ファウスト」などの翻訳でも有名。ほかに「近代芸術観の成立」「高橋義孝文芸理論著作集 上下」、エッセイ「すこし枯れた話」「酒客酔話」「わたくしの東京地図」などがある。また、大相撲を愛し、39年から横綱審議委員会の委員をつとめ、56年より第4代委員長に。横綱推薦内規の改革案を提言した。平成2年健康上の理由で辞任。
註三・・『讀書記録』より(一九六九年九月~一九七〇年五月の抜粋)
9/30 ボンヘッファー 現代キリスト教倫理
10/1 南 博 日本人の心理
10/3 ニーチェ この人を見よ
10/7 E.フロム 愛するといふこと
10/9 高桑純夫 人間の自由について
10/23 E.フロム 自由からの逃走
10/28 夏目漱石 野 分
10/31 E.フロム 疑惑と行動
11/6 夏目漱石 草 枕
11/13 河合隼雄 ユング心理学入門
11/18 村田武雄 ヨハン・セバスティアン・バッハ
〃 カール・ロジャース 人間の潜在能力
11/23 谷口隆之助 疎外からの自由
11/28 マックス・ピカート 神よりの逃走
12/8 E.フロム 革命的人間
12/16 田辺 保 シモーヌ・ヴェイユ
12/27 長谷川宏 沈黙と言語
1/1 鶴見俊輔 抑圧と抵抗の論理
1/2 W.ジェイムズ 宗教的経験の諸相(上)
〃 樋口和彦 深層心理学と神学との対話
1/3 大塚久雄 東西文化の交流における宗教社会学の意義
1/8 レオン・シェストフ ゲッセマネの夜ーパスカルの哲学
〃 森 有正・垣花秀武 宇宙への冒険とプロテスタンティズム
1/9 ヨハネス・ビルシュベルガー 哲学者の神ー現代における神
1/11 広津和郎 自由と責任についての考察
1/20 笠原芳光 現代キリスト教入門
1/26 荻野恒一 現存在分析
1/30 ジャン.C.フィルー 精神分析
3/27 神谷美恵子 生きがいについて
4/2 北 杜夫 夜と霧の隅で
4/9 E.フロム 精神分析と宗教
4/15 鈴木大拙 禅
4/27 F.パッペンハイム 近代人の疎外
5/12 J.A.C.ブラウン フロイトの系譜