六月五日(火)戊辰(舊四月廿二日) 曇り

 

今日も 『枕草子』 を讀み進みました。山本淳子著 『枕草子のたくらみ』 の「第六章 変転」と「第七章 女房という生き方」であげられた章段です(段は能因本)。 

第六章は、道隆生前最後の姿が見られる、「淑景舎、春宮にまゐりたまふほどの事など」(一〇八段)と、道隆の死後、末弟の道長が「内覽」就任するまでの樣子を描いた 「故殿の御服のころ」(一六五段)。 

一六五段では、定子づき女房たちの「気を吐く」樣子が面白い。時を打つ鐘に登つたり、闇夜にまぎれて内裏内の建物を騒ぎながら歩き回つたり、ちよいとこれまでの王朝のイメージからしたら突飛もない情景にめぐり會ふことができました。まあ、から元氣とも思へますがね。 

「屋のいと古くて、瓦葺きなればにやあらむ、古き所なれば、ムカデといふもの、日一日落ちかかり(四六時中天井から落ちてくる)、いとおそろしき」なんて、ほんとうのムカデだつたらそれはそれは怖かつたでありませう。それが、零落しはじめた中關白家の女房たちだつたことに、なにか含みがあるやうで、優雅でお洒落なサロンを描きながらも、息詰まつた氣持ちを吐露さざるを得なかつたの淸少納言の青白い顔がほの見えるやうであります。

 

しかしまた、「第七章 女房という生き方」であげられてゐる章段、「生ひさきなく、まめやかに」(二一段)においては、氣持ちを奮ひ立たせるやうに、娘や妻として家に籠つてゐる女たちにたいして、「幸運をつかめる女房になろう」と、まるで女闘士のやうな元氣をも見せてゐます。 

それだけではありません。二八三段と二八四段(三巻本では二八四段)では、淸少納言が、「女房たちのための隠れ家を作り」たいとのたまはつてゐるのです。

 

「宮仕する人々の出で集りて、君々の御事めで聞え、宮の内外のはしの事ども、互に語り合せたるを、おのが君々、その家あるじにて聞くこそをかしけれ。 

家廣く清げにて、親族は更なり、唯うちかたらひなどする人には、宮づかへ人、片つ方にすゑてこそあらまほしけれ」。 

山本淳子先生の現代語譯では、 

「女房たちがそれぞれの職場から出てきて寄り合い、自分の勤め先の主人自慢したり、御殿の内内や出入りする殿方たちの情報を交し合ったりするのを、その家の主(あるじ)として聞くことができたら、おもしろい。家は広くてこざっぱりとしたのがいい。自分の親族はもちろん、話し相手として、宮仕え女房をあちこちの部屋に住まわせたいものだ」。 

 

「自分は、その経営者兼管理人になりたいと夢見る」、そんな淸少納言をだれが思ひ描くことができたでせう。 

「ならば、隠れ家では、女房が恋人と楽しく過ごせるように気を利かしてやろう」、とそこまで考へてゐたのではないかと淳子先生はおつしやつてをられるのであります。はい。 

 

黒川博行著 『ドアの向こうに』 を讀了。 

内容紹介・・大阪府警の文田巡査部長と聡田部長刑事、通称“ブンと総長”。そこに京都出身で京都自慢が鼻に付く五十嵐刑事が加わり、意外な繋がりを見せるバラバラ殺人と心中事件を追う。“本格ミステリ”の醍醐味に、大阪弁の会話が織り成す、軽妙なタッチも魅力な傑作。