六月十一日(月)甲戌(舊四月廿八日・入梅) 

 

今日は終日讀書。まづ、『竹齋 下』 (近世文藝資料『竹斎物語集』所収) を讀み上げました。四十六頁を、六日からはじめて、まる五日で讀み通したことになります。 

後半の内容は、東海道中記となつてをりまして、さながら名所古蹟案内といつたところです。

 

にらみの介という下僕とともに、失敗をかさねた名古屋を追ひ出されるやうに逃げ出し、熱田、鳴海、岡崎へ。八橋では、伊勢物語の故事にちなみ、「業平のいにしへ思ひやられてあはれなり」なんてうそぶいてゐます。 

さらに、新居、濱松、見附、袋井の宿と、このあたりは五年ほどゐた濱岡でよく訪ねた、といふか遊びまはつたところです。そして、おなじみ、小夜の中山、金谷、島田、藤枝、岡部に宇津の山。 

「さて行く道は足弱く、蹴あげて通る鞠子川、流れてはやき日數へて、旅を駿河に着きにけり。人に情けを江尻の宿、立出でみれば富士の山」 

ときには狂歌を詠じつつ、「雪よりも上をば知らぬ富士の山見えたるほどは高き山かな」なんてね。さう、江尻(淸水)の淸見寺については六行ばかり費やしてゐます。 

中略し、「かやうに腰折れ(へたな歌)うちつらね、音に聞こえし日本橋、とどろとどろと打渡り、ここはいづくぞ神田の臺、南にあたりてながむれば、天下のあるじおはします」。このやうにして、江戸の見物がはじまりますが、これでおしまひにします。 

ですが、このままおしまひにするのもなんだと思つて、『竹斎物語集』 を出してみたら、 『繪入 竹齋狂哥物語 上中下』 といふのがあつて、どうも内容も續編のやうなのであります。そこで、また、分册に切り分けて、讀めるやうにしてみました。 

 

さて、『枕草子』 は 「第九章 人生の真実」。この章は、「『枕草子』 の中でも淸少納言の真骨頂というべき、類聚的章段ではないか」、と淳子先生がおつしやつてゐるところで、たしかに、「はしたなきもの」とか、「にくきもの」、「心ときめきするもの」等、讀んでゐると、それぞれ、「ある、ある」系、「ひねり」系、「なるほど」系、「しみじみ」系などに分けられるやうな人生の機智といふかうなづかせられる内容に富んでゐます。で、いちいち讀んだ章段は記しませんが、ただひとつ。 

一六一段「遠くて近きもの、極樂、舟の道、人の仲」(能因本では、一七一段「遠くてちかき物、こくらく 舟の道、男女の中」)。 

「人生を、大事に生きよう。一瞬一瞬が、かけがえがない時間なのだ。『枕草子』 は、優しい作品でもあるのだ。この読後感を、定子もきっと心に抱いたに違いない」、とこの章を結んでをりまする。 

 

それと、昨日、柴田錬三郎著 『一の太刀』 を讀み終へました。昨年十二月から、氣がむいては讀み次いできたのですがやつと終りました。初期の短編集ださうで、ちよいと暗いといふか陰惨な内容が目につきました。 

 

今日の寫眞・・右から、『枕草子』、『筑波問答』、『竹齋』 の本文です。ならべてみると、くづし字の違ひが一目瞭然。『竹齋』 は、金釘流とでも言ふのでせうか、いかにもへたくそな文字です!