六月十八日(月)辛巳(舊五月五日) 曇天時々雨、今日も寒い

 

今日も、山本淳子著 『枕草子のたくらみ』 に從つて、『枕草子』 を讀み進みました。「第一二章 秘事」といふ、思はせぶりな題名ですが、取り上げられた章段は、八三段(能因本では九一段)「職の御曹司におはしますころ、西の廂に」のみ。しかし、長い長い章段で、實は一日かかつても、讀み切れてゐません。もちろんくづし字でですが、原文を讀むことで、淳子先生が取り上げなかつたエピソードにもれることができて、それがぼくにはとても新鮮で驚きでした。

 

まづ、『枕草子のたくらみ』 によれば、この章段が描く長保元年(九九九年)正月の參内は、他の公的史料には記されておらず、「『枕草子』 が記さなければ世に伝わらずに終わったに違いない」、定子さんと一條天皇との逢瀬が内容ですから、たしかにこころして讀まねばならぬところでせう。

 

でも、まとめにくいのと、原文を全部讀み通してゐないので、淳子先生のご説明に耳をかたむけませう。もちろん、詳しくは本文を讀まなければわからないことですので、本文理解の手助けとお思ひください。

 

「この章段は、雪山の話題を一種の目隠しにしながら、多くのほのめかしに満ちている」。庭にこしらへた雪の山がいつとけてなくなるか、淸少納言は仕へる中宮定子さんと賭けるのです。しかし、「雪山の賭けの裏で実は着々と何かが進行していたことが、しかし決してそうとは明言されない形で書かれている」。 

そして、その謎が説き明かされます。

 

「定子を思う淸少納言と、淸少納言をねぎらう定子。一条天皇を思う定子と、定子を気遣う一条天皇。その周りに女房たちがいて、皆笑っている。何年も前に(父關白道隆が亡くなり、伊周と隆家が流されるといふ)一たび途絶えた宮廷の光景が戻って来た。そしてこの幸福は、やがて十カ月後、定子による天皇の第一皇子・敦康親王出産という快挙につながることになる。淸少納言にとってどうしても書かずにいられなかった、天皇と中宮の秘密の逢瀬だつた」。

 

これがわかつただけでは讀んだことになりません。原文を讀んでこその讀書ですが、『枕草子』 は、前にも言ひましたやうに、『源氏物語』 のやうな物語ではありませんから、歴史とかみ合はせながらでなくては理解できない部分がとても多いのです。「春はあけぼのよ」なんて言ふところは、どうもカモフラージュではないかとさへ思はれるのです。臆せずに、ご説明に導かれて讀んでこそわかつてくる内容であることを心に銘じたいと思ひます。 

 

今朝、大阪で大地震。突然です。亡くなつた方が三名。うち一人は本棚の下敷きになつたといふ。他人事とは思へません。 

 

讀書の旅(三)・・・ぼくが最初に求めた文庫本は、夏目漱石の 『吾輩は猫である』 でした。角川文庫で、もちろん古本でした。堀切菖蒲園驛前の靑木書店で、薄暗い棚から手に取つて買つてきたはいいのですけれど、それが、「天」が裁斷されてをらなかつたころの文庫本で(現在でも、出版社によつては未裁斷はありますが)、あとでそれに氣づき、替へてもらはうか惱んだことを思ひだします。たぶん、中學生ころのことだと思ひますが、弟にも相談したらしくて、あとあとまで覺えてゐました。

 

ぼくの讀書はもつぱら文庫本ですが、なかで最も好きなのが、角川文庫の舊版です(今日の寫眞中央の『津軽』がその例で、右は新版です)。表紙の紙の丈夫でしなやかでつややかなこと、用紙の肌觸りといふか、ざらついてゐるやうで、讀むもののこころを引きつけるはかなさを感じさせて、いつまでも手でもてあそんでゐたい。それと、舊版の多くが歴史的假名遣ひと正字であることです。これは、こころして讀むだけで文語體の文章を書くのに勉強になりました。

 

ついでに言へば、歴史的假名遣ひと正字を使ひはじめたのは、一九八〇年(昭和五十五年)の頃からでした。それについては、追々書くことにします。が、ひとつ、このことが、歴史史料や古典文學を讀むうへで多大な力になつてくれたことを強調しておきたいと思ひます。 

 

今日の寫眞・・文庫本各種。それと、父(祖父)ゆづりの 岩波文庫の 『徒然草』  と 『良寛詩集』。