十二月十八日(月)己卯(舊十一月朔日・朔 晴

 

今日の讀書・・晴れれば書齋は日溜まりで、猫になつた氣分で居眠りばかり。それでも、どうにか、〈賢木〉の卷を讀みつづけました。 

「靑表紙本」で、三三頁まで讀み進みました。野宮でのあれこれ、そして、御息所とその娘の齋宮が伊勢に下向し、桐壺院が亡くなられたところまでです。新帝・朱雀の外祖父右大臣と、その娘であり新帝の母親でもある弘徽殿大后による、「心にまかせたまへらむ世」を豫感させて、先行きがちよいと氣になるところでやめておきました。 

それで、今日の寫眞は、かつて訪れた野宮と齋宮です。 

 

今日の御詠歌・・十四番の解説、十四番、十五番、十五番の解説、(十六番の解説は宿題)

 


 

*昨日の宿題、十四番の解説 

「第十四ばん あふみの國しが郡別所村長とうざん(長等山)三井寺 

本尊如意輪觀世音菩薩 御長五尺二寸 開山ちしやう大しの御作なり」

 

*第十四番札所 

「十四ばん あふみのくに みいでら 

いでいるや なみまのつきを みゐてらの かねのひゞきに あくるみづうみ」 

いで入や 波間の月を 三井寺の 鐘のひびきに あくる湖

 

*第十五番札所 

「十五ばん やましろのくに いまぐまの 

むかしより たつともしらぬ いまくまの ほとけのちかひ あらたなりけり 

昔より 立つとも知らぬ 今熊野 佛の誓ひ あらたなりけり

 

*十五番の解説 

 「第十五ばん 山しろの國おたぎ郡らく東(洛東)今くま山觀音寺 

本尊十一面觀世音菩薩 御長二尺 開山こふぼう大し(弘法大師)の御作なり」 

觀音寺は泉涌寺のなかにあるさうで、定子さんのお墓のはうから歩いてくると山道の右側にあるといふことです。ですから、ぼくもきつと目にしたはづなんですが、まつたく覺えてゐません。 

 

今日の寫眞・・『歴史紀行』、五と四で訪ねた、「野宮」と「齋宮」。〈賢木〉はこの兩方が舞臺です。まあ、「齋宮」のはうは、旅立つていつたといふだけですけれど。とにかく想像もつかない大規模な施設です。