十二月廿二日(金)癸未(舊十一月五日・冬至 晴

 

今日の讀書・・今日は、東武鐵道の特急「りょうもう5號」で、北千住驛から出發して太田驛乘り換へ、新伊勢崎驛まで行き、百貨店で開催してゐる古本市を見てまゐりました。第21回ベイシア大古本市です。はじめてうかがひましたが、近くの高崎や前橋の老舗の古本屋さんが集まつて開かれた古本市のやうです。たしかに、郷土史關係のきれいでご立派な書籍が、みやま文庫はじめ、ずらりと竝んでゐて、ぼくには手の出ないものがほとんどでした。『新田義貞公根本史料』 と題した分厚い本なんか、一二〇〇〇圓。關心はありますが、手も足も出ません。 

それと、はじめて見る名前の、所京子著 『齋王文学の史的研究』。 三〇〇〇圓でなければ買つたかも知れません。齋王とは、齋宮と齋院の總稱で、『源氏物語』 では缺かせない、といふか無視し得ない役割を擔つてをります。

 

で、どうもはづれであつたやうで、もの足らない、といふより心はすぐに神保町に向いてしまひました。今日から、古書會館で〈ぐろりや会〉の展示即賣會がはじまつてをります。 

伊勢崎驛から、兩毛線で高崎驛まはりでとも思ひましたが、伊勢崎からは、地圖で見ると、眞南に下ると高崎線の本庄驛に近いのです。それで、ベイシアから伊勢崎驛まで歩きはじめたその途中で、なんと、「本庄駅北口」行きのバスがやつてきて、ちやうどうまく乘ることができました。本庄驛發一三時一一分の熱海行電車がこれまたすぐやつてきて、東京驛までのんびり讀書することができました。 

 

持つて出たのは、昨夜、古典文庫の 『十帖源氏』(註) をばらして切り離し、製本しなほした、『十帖源氏 三』 です。「さかき」から、「ゑあはせ」までの部分です。で、どう讀んだかと言ひますと、小學館の日本古典文學全集を切り離した同じ部分の册子を傍らに、『十帖源氏』 を讀みながら、その一字一句も逃さずに、全集本の原文に靑線を引いていくのです。すると、ほとんどが、原文の抜き書き(切り貼り?)であることがわかりました。 

時々言葉を補つてゐるところもありますが、これだけを讀んだのでは意味といふか、物語としての筋は通らないなと思ひました。まあ、くづし字の勉強がてら、どうにか讀めるやうになつたのでできたわけですが、このやうなダイジェスト本が江戸時代には用ゐられてゐたんですね! 

 

註・・『十帖源氏』 は、絵入りの版本の形をとった源氏物語の梗概書であり、「十帖源氏」の名称は全10巻であることによる。俳人野々口立圃(1595- 1669年)の作。1654年(承応3年)ごろの成立と見られ、1661年(万治4年)付けの荒木利兵衛による刊記を持った版本が存在する。婦女子のために平易に俗訳した絵入本として、野々口立圃自身による130図に及ぶ古雅な挿絵を添えてあり、親しみやすいものとなっている。本文の巻末には六条院・二条院の図、登場人物系図、さらに立圃の跋を付している。歌を引用することが多く、源氏物語本文に含まれている和歌をほとんどとりあげている。 

 

それで、神保町ですが、今日は和本づいてゐました。自制して、それでも數册にとどめましたが、いやはやままならぬものです。小宮山書店のガレージセールは必ずのぞくことにしてゐるのですが、掘出し物には當り外れはあります。が、今日はその當たりでした。 

橋本治著 『窯変源氏物語』(全十四册) と 『源氏供養』(上下) がすべて、三册五〇〇圓。まとめて求めて送つてもらひました。これだから本が增えてこまるのですが、願はくば、妻が留守してゐるあひだに屆いてもらいたいものです。 

 

今日の御詠歌はお休み。あしからず。 

 

今日の寫眞・・東武鐵道・新伊勢崎驛ホームから赤城山を望む。と、大古本市の看板と會場。つづいて、歸路、バスで渡つた利根川の坂東大橋から見た淺間山。 

最後は、今日の掘出し物。右側の、『自由民權運動の今日的意義 喜多方事件98周年記念・・』 のみ、大古本市で見つけたもの。會津・喜多方散策の參考になればしめたものです。 

他の和本(和綴本)は、神保町で見つけたもの。謠曲で 『源氏物語』 を題材としてゐるものが、十册ほどあるんですが、これらで六册入手。一册一〇〇圓。殘すは、『夕顔』 と 『住吉詣』 と 『落葉』 と 『浮舟』 の四册となりました。 

『大阪俳歌仙』 は複製本で、偶然の出會ひですが、「井原西鶴がまだ鶴永と號してゐた壯年時代の肖像の載せられてあるのは特に注意をひくべきもの」とされるものです。人物畫とくづし字文字が大きくて、見てゐるだけでも樂しめる和本です。これが、八〇〇圓。 

『倭漢朗詠集卷・下』 は汚れてゐますが、印刷ではなくて自筆の寫本です。墨痕生々しいといふやつですね。漢詩とともに假名文字の和歌も記されてゐます。五〇〇圓也。