十二月十九日(火)庚辰(舊十一月二日 晴

 

今日の讀書・・今日も讀書。『源氏物語』〈賢木〉の卷を、「靑表紙本」で、四四頁まで讀み進みました。今までもさうでしたけれど、一日で十頁が限度ですね。まあ、讀めればいいとしませう。

 

桐壺帝が亡くなり、朱雀帝の御代になりましたら、帝の外祖父たる右大臣派が擡頭してまゐりまして、源氏の義父である左大臣派が押されてきました。當然、源氏もおほつぴらには戀もできなくなります。「輕々しき御忍びありきも、あいなうおぼしなりて(ふさわしからぬと思はれて)」とあり、失意は隠せません。 

ところが、それを喜んだ人々がをりました。紫の上と取り卷きの連中でした。その乳母なんて、「なんて幸ひなんでせう、これは、故尼上(紫の上の祖母)のお祈りのしるしでせう」とおおはしやぎ。「世人もめでてきこゆ(世間の人々も姫君の幸せをたたへた)」といふのです。さうです、大切な人を放つておいて、何が戀に生きるでせう。源氏も頭を冷やすときがきたのだと思ひます。 

いや、この人、めげないですね。勢力を盛り返した太后(朱雀帝の母)の妹である、例の朧月夜の君が、前任者が桐壺帝に殉じて尼となつたために、尚侍(ないしのかみ)といふ女官に就任。それを目ざとく見つめて、もう秋波を送つてゐるんです。 

さらにです、桐壺帝が亡くなつたために、賀茂齋院が交代になり、それが朝顔の姫君だつたのです。神に仕へる身分となつた方にまさかとは思ひますけれど、いや、わかりません。手紙のやりとりはできさうだと思つてそれをどうしたらいいか惱んでしまふのですから、根からのスキモノなんですね! 

 

今日の御詠歌・・十六番の解説、十六番、十七番、十七番の解説、(十八番の解説は宿題)

 


 

*昨日の宿題、十六番の解説 

「第十六ばん 山しろの國おたぎ郡らく東(洛東) 音羽さん淸水寺 

本尊楊里う千手觀世音菩薩 御長五尺二寸 沙門延ちん(延鎭)しやみかんとく(感得?)にして田村しやうぐん(將軍)の開き之」 

どの書を見ても、本尊が「十一面觀世音菩薩」になつてゐます。正しいのはどちらでせう。 

淸水寺は、寶龜九年(七七八年)、延鎭上人が開山、延暦十七年(七九八年)、坂上田村麻呂が創建したと傳へられてゐます。 

 

 *第十六番札所 

「十六ばん 山しろのくに きよみつでら 

まつかぜや おとはのたきの きよみづを むすぶこゝろは すゝしかるらん」 

(清水寺 松風や 音羽の滝の 清水を むすぶ心は 涼しかるらん)

 

  *第十七番札所 

「十七ばん 山しろのくに ろくはらだう 

おもくとも 五(いつ)つのつみは よもあらじ 六(ろく)はらだうへ まゐるみなれば」 

(重くとも 五つの罪は よもあらじ 六波羅堂へ 參る身なれば) 

 

*第十七番の解説 

「十七ばん 山しろの國おたぎ郡八坂ごう補陀洛山六はらみつ寺(六波羅蜜寺) 

本尊十一面觀世音菩薩 御長壱丈 開さん空や(空也)上人乃御作なり」 

 

今日の寫眞・・齋宮にある、〈いつきのみや歴史体験館〉と〈齋宮歴史博物館〉