十月五日(月)甲寅(舊八月廿三日・下弦 晴

 

明日と明後日は、「北國街道(二)」です。「中仙道を歩く」が終了したと言つても、紀行の後篇が書き終はらないうちは、ぼくにとつては、まだ完歩したことにはならないのでありまして、心の準備はもちろん、日程さへまだよく消化してゐません。

第一日目は、北陸新幹線で上越妙高驛まで行き、そこからはバスに乘りかへて宿泊先の宇奈月温泉まで行きます。途中、上杉謙信の春日山城を訪ね、親不知海岸を歩き、そして、翡翠(ひすい)海岸にも立ち寄るやうなのであります。いやあ、石好きのぼくにとつてはこたへられませんね。これでは、歴史紀行にはならないでせう。

二日目はバスで魚津に向かひ、そこからしばし歩き、米騒動發祥の地、北前船問屋街、義經岩を訪ね、晝食後は、高岡大佛だとか、倶利伽羅峠の古戰場、そして金澤に入つて兼六園で終了。金澤驛から歸宅といふ豫定です。

予備知識なしで、行き當たりばつたりで、まあ、樂しむしかありませんが、翡翠海岸と倶利伽羅峠の古戰場には期待しますね。なにせ、歩くにしてもバスがそばに待機してくれてゐるので、中仙道のやうな悲壯感はありません。

それと、前回お世話になつた岸本豐先生がご一緒なので、またいろいろとお勉強できるのではないかとも思ひます。

 

今日はまた弓道場へ行つてきました。段々と調子がもどつてきたやうで、樂しく射ることができました。

 

ところで、友人から、メールをいただき、その中にとても重要なメッセージがあつたので、ここに無斷で轉載させていただきます。

《今日は、エコノミストの浜矩子さんの話を聞きました。

アベノミクスをアホノミクスとばっさり。経済政策が外交安全保障政策と表裏一体というのは、富国強兵をめざす阿部政権のファシズム体制をあらわしている。

本来、経済活動はバランスの回復と弱者救済をめざすべきもの。豊かさの中の貧困、貧困の子どもが16%もある日本。私たちは経済の合理性とか成長とかいう言葉に惑わされてはならない。経済成長力を経済拡大力と言い換えたい。分配=わかちあい。

今回の安保法案に市民の声が高まったことは、1ステップ。次のステップは声をあげ続けること。グローバル市民主義の時代。と、さながら女性闘士のような流暢な講演でした。》

 

今日の寫眞・・先日、TVの旅番組で、翡翠海岸かどうかは見逃しましたが、海岸で翡翠の原石を發見したところが寫されました。やらせかどうかは分かりませんが、翡翠のサンプルですので、參考のために寫しておきました。